高井幸大のプレー、言葉から感じた「本気」 W杯優勝を目指す日本代表の“成長”とは?

大島和人

【写真:西村尚己/アフロスポーツ】

 鉄道もプロスポーツも「自由席」が減らされる昨今だ。東海道・山陽新幹線の「のぞみ」号は2025年3月のダイヤ改正から、自由席を2両に減らした。Jリーグを見てもいわゆるゴール裏を指定席に変更するクラブがちらほらと出ている。しかしそんな時流に反して、世界一に向けて動き出した森保ジャパンの選手たちは「指定席」と縁がない。

 日本代表は3月20日のFIFAワールドカップ26アジア最終予選のバーレーン戦を2-0で制し、世界最速で予選突破を決めた。計10試合組まれている最終予選のうち、3試合を残してグループCの「2位以上」が悠々と決まった。

 同じホームゲームだった最終予選・サウジアラビア戦(3月25日)は0-0の引き分けだった。日本代表はおそらく「発掘」「評価」の意味合いも込めて、先発を6名入れ替えている。FW上田綺世(フェイエノールト)とMF守田英正(スポルティング)が負傷で離脱。三笘薫(ブライトン)はベンチ外となり、南野拓実(モナコ)や堂安律(フライブルグ)も先発を外れた。

 ただ、それだけメンバーを入れ替えても、W杯出場決定後の「消化試合」だとしても、チームには次に向けた程よい緊張感が漂っていた。

「発見」となった代表初先発の高井

森保監督も高井を「発見」の一つに挙げていた 【写真:松尾/アフロスポーツ】

 記者会見で3月下旬の2試合を終えた「最大の発見」を問われた日本代表の森保一監督は「最大と言いながら二つ答えていいですか?」と前置きしてこう語り始めた。

「一つは高井のポテンシャル、Jリーグのポテンシャルを感じました。もう一つはチームの雰囲気です。今日も緩んでいたら、もっとカウンター攻撃を受けてビッグチャンスを作られてもおかしくない試合だったと思います。選手たちのW杯優勝を目指す本気を、特に2試合目で感じさせてもらいました」

 高井幸大(川崎フロンターレ)は弱冠20歳のセンターバック(CB)で、サウジアラビア戦が代表2キャップ目だった。192センチ・90キロと大型で、昨年のパリオリンピック2024もU-23日本代表に入っている有望株だ。

 彼は空中戦の高さを見せる一方で、俊敏な相手への対応を苦にせず、攻撃面もフロンターレ育ちらしいスキルを発揮する万能タイプだ。サウジアラビア戦最大級のビッグチャンスとなった前田大然のシュートシーン(前半9分)は、高井が縦の狭いコースから田中碧に「刺した」フィードが起点だった。彼の強みが分かりやすく出た場面だ。

 久保建英は高井のプレーをこう評していた。

「彼のストロングポイントはボール持ってからの運び出しと、あの体格で落ち着いたプレーができるところです。彼がもっと自分のストロングを出して、持ち込んでもよかったかなと個人的には思いますけど、前半は僕のサイドが1枚少なかったので彼にとっては少しやりづらかったかもしれません」

 サウジアラビア戦の日本はやや左寄りの配置で、右シャドーの久保を「外に出す」「相手DFを外に引っ張って中間スペースを開ける」形をあまり使わなかった。結果として高井が持ち出す、グループでの崩しに入っていく場面自体は決して多くなかった。「高井の良さはもっと出るはず」という評価もあり得るだろう。

 とはいえGK鈴木彩艶も含めた守備陣の判断と連携、隙のなさは及第点だった。高井も最終予選初先発の緊張感を力に変え、落ち着いたプレーを見せた。

激戦区となったCBの3枠

今回は欠場したものの町田浩樹(左)や谷口彰悟(右)も本大会のCB候補だ 【写真:松尾/アフロスポーツ】

 ちょうど20年前の今頃は日本代表の主将としてドイツ大会に向けた最終予選を戦っていた日本サッカー協会の宮本恒靖会長は、高井についてこう述べていた。

「的確というか、判断を間違えず、いいプレーをしていたと思います。自分が初めて幸大を見たのは22年9月ですが、そのときに比べても自信がプレーの端々からも見えます。コメントも、下で会ったときの顔つきも全然違います。いい成長直線にある選手のプレー、表情なのかなと思います」

 気づくと日本代表のCB陣は3つの「自由席」を厳しく奪い合う激戦区になっている。板倉滉(ボルシアMG)、伊藤洋輝(バイエルン)は3月の2試合に先発し、サウジアラビア戦は高井が瀬古歩夢(グラスホッパー)と入れ替わった。ただ昨秋の最終予選序盤戦で先発していたのは板倉、谷口彰悟(シント=トロイデン)、町田浩樹(サン・ジロワーズ)で、さらに膝の負傷さえ癒えれば冨安健洋(アーセナル)がおそらくファーストチョイスになる。

 体格一つ見てもサウジアラビア戦は192センチ、188センチ。188センチの偉丈夫(いじょうふ)が最終ラインに3枚並んだ。20年前の日本代表では187センチの中澤佑二が「高さ」という意味では別格の存在だったが、今はそれが標準になっている。

 ちょうど20年前の2005年3月25日――。ドイツ大会に向けた最終予選・イラン戦がテヘランで開催され、日本は1-2で敗れている(高井幸大は2004年9月4日生まれなので、当時0歳6カ月)

 ジーコが率いた当時の日本代表は中田英寿がフィオレンティーナ、小野伸二がフェイエノールト、高原直泰がハンブルガーSVというように選手が海外クラブでプレーし始めていた時期だった。とはいえアジアの中でも今のような「選手層」「レベル差」は見せてなかった。

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著者プロフィール

1976年に神奈川県で出生し、育ちは埼玉。現在は東京都北区に在住する。早稲田大在学中にテレビ局のリサーチャーとしてスポーツ報道の現場に足を踏み入れ、世界中のスポーツと接する機会を得た。卒業後は損害保険会社、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を開始。取材対象はバスケットボールやサッカー、野球、バレーボール、五輪種目と幅広い。2021年1月『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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