日本代表監督・森保一という男<後編> 教え子たちの証言「理論的かつ客観的」

原田大輔

カウンセラーのように「選手に話をさせる」

現在はUAEでプレーする塩谷は、森保時代の広島で大きく飛躍した1人 【Getty Images】

 森保監督が指揮していた当時の広島において、その3−4−2−1システムを機能かつ進化させ、まさにピッチの指揮官として君臨していた森崎和幸の言葉を借りれば、それは自ずと明確になる。

「あのサッカーは、ピッチに立つ11人が同じ絵を描けなければ実現しない。だからこそ、戦術に関しては、特にポジション取りに関してはかなり言われました。ある程度、選手たちの判断に任せてくれるところもありましたが、それは森保さん自身が、選手時代に監督から言われたことと、実際にピッチにいる自分たちが感じていることにギャップがあったように感じていたのが大きいのかもしれません。そういう話をしてくれたこともありますし。だから最終的には、選手たちが何を感じて、それをどうピッチで修正していくかという自主性を重んじてくれていたんだと思います」

 これらの話を、まだ見ぬ森保ジャパンに少しだけ照らし合わせてみる。ベースとなる部分であり、基本的な戦術はあるが、試合に応じて、状況によって選手たちで詰めていく。システムは違えど、ワールドカップ(W杯)ロシア大会で体現されたチームに近からず遠からずなところもある。森崎和幸がさらに付け加える。

「森保さんは選手の意見を聞くのがうまい。選手がそのときそのときで感じていること、考えていることをうまく聞き出して、それを踏まえた上で、自分が考えるチームの方向性に落とし込んでいく。そこに森保さんの強みがあると思うんですよね」

 A代表もまた3−4−2−1システムを採用するならば、年齢的にもまだまだ3バックの右で力を発揮しそうな塩谷が言う。

「今思えばですが、森保さんは自分から話すというよりも、選手に話をさせるというか、聞き手になってくれるんですよね。思いをすべて吐き出させたうえで、最終的に自分でどうするかを決めさせるというか、導いてくれるというか。選手は我が強いところがありますし、頭ごなしに上からこうしろと言われても、素直に聞き入れられない部分があると思うんです。でも、森保さんといろいろ話をしていくと、自分自身の考えも整理されて、最終的には『こうします』と自分で答えを出しているんです。だから、連覇した13年も、3度目のリーグ優勝をした15年も、1対1で森保さんと話したことはなかったと思います。自分のパフォーマンスが落ちていたり、調子が悪いときこそ、話し掛けてきてくれる。そういう指導者でしたね」

結果を出すためならリアリストにもなる

中島は13年、森保監督が率いた当時の広島で現役を引退した 【(C)J.LEAGUE】

 周りが見えているからこそ、観察力に優れているからこそ、いつ、どのタイミングで選手と対話をすればいいかが分かっている。森保監督には、そうした人の機微を見抜く力がある一方で、リアリストの一面もある。中島が語ってくれた話は、これから世代交代がなされていくであろう日本代表にもどこか通じている。

「結果を出すために最善の判断をする。そこで情に流されるような人じゃない。常に先を見据えているところはありましたね。森保さんが監督に就任した12年からそうですけれど、僕を使い続けても、年齢的に先があるわけではなかった。カズ(森崎和幸)に対しても、そういうところはありましたよね。直接、そういう話をされたわけではなかったですけれど、そこはシビアでした。

 13年、僕はその年で引退することを決めていて、ホーム最終戦でセレモニーをすることが決まっていました。試合には1−0で勝っていたにもかかわらず、最後まで僕が途中出場することはなかった。それで(アウェーでの)最終節の鹿島アントラーズ戦に向かう途中、トイレで森保さんと2人きりになったんですけれど、そのときに『出してやれなくてごめんな』と、本当に申し訳なさそうに言われて。自分もプロなので、結果にこだわるのは当たり前ですし、だからこそ最終節にも勝って連覇できたんですよね」

 優勝を決めた最終戦、中島が出場したのはアディショナルタイムに入ってからだった。「2−0で勝っていたから、もうちょっと早くてもよかったと思いますけどね」と言って中島は笑ったが、それも勝負に、結果にこだわる森保監督ならではの判断なのだろう。

 思い起こせば、森保監督が初采配をふるった12年、広島がリーグ優勝するとは誰もが予想していなかった。そうした状況から、1試合1試合に目を向け、1つ1つ階段を上っていったことで、森保監督はクラブにタイトルをもたらした。優勝にはあと一歩届かなかったが、U−21日本代表を率いて戦った先日のアジア大会も状況は酷似していたように思える。ならば、いよいよ初陣を迎えるA代表もきっと――。

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著者プロフィール

1977年、東京都生まれ。『ワールドサッカーグラフィック』の編集長を務めた後、2008年に独立。編集プロダクション「SCエディトリアル」を立ち上げ、書籍・雑誌の編集・執筆を行っている。ぴあ刊行の『FOOTBALL PEOPLE』シリーズやTAC出版刊行の『ワールドカップ観戦ガイド完全版』などを監修。Jリーグの取材も精力的に行っており、各クラブのオフィシャルメディアをはじめ、さまざまな媒体に記事を寄稿している。

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