初招集メンバーは「森保カラー」が全開 思い出される12年前のオシムジャパン発足
招集リストから想像する森保新監督の思惑
アジア大会が行われるインドネシアでA代表メンバーを発表した森保監督 【写真は共同】
2006年ワールドカップ(W杯)ドイツ大会終了後から日本代表を率いたイビチャ・オシム監督の初陣――。
あのときもまた、それまで日本代表とは縁遠いメンバーが数多く招集された。
当時、日本代表は中田英寿や中村俊輔、小野伸二をはじめとした黄金世代が20代後半という、サッカー選手として最も脂の乗った時期にドイツ大会を迎えたが、惨敗を喫したうえに、中田が引退を表明するなど、変革の時期を迎えていた。
オシムはジェフ千葉の監督として03年から日本に滞在していたから、日本代表の現状を把握していた。そのため、海外組を一切呼ばず、初陣のピッチに田中マルクス闘莉王、長谷部誠、鈴木啓太、山瀬功治、田中隼磨、田中達也、我那覇和樹といったフレッシュなメンバーを送り出すと、2カ月後には中村憲剛を代表デビューさせた。
こうしてチームのベースを作ると、翌年には本田圭佑や家長昭博といった北京五輪代表世代を招集する一方で、中村俊輔、高原直泰、稲本潤一、松井大輔といった海外組を徐々に呼び戻すのだ。
現在、A代表と五輪代表を率いる森保一監督は当時、U−19日本代表のコーチを務めており、今回のメンバー選考をサポートした小野剛技術委員は当時、技術委員長だったから、オシムの思い切った世代交代と、その効果を間近で見ていたはずである。
「惨敗」と「決勝トーナメント進出」と結果は大きく異なるが、主力の多くがベテランで、中心選手が代表から去ることを表明したという点では状況は同じ。だから、ロシア大会で主力だった海外組を一切呼ばず、新しいメンバーに経験を積ませ、世代交代を推し進めていくという舵取りをしたのは、当然の判断だろう。
兼任監督ゆえのアイデアとメリット
ドイツでの活躍が認められ、初招集を受けた21歳の伊藤達哉 【写真:アフロ】
冨安健洋、堂安律、伊藤達哉の3人は森保監督が兼任する東京五輪代表=U−21日本代表世代の選手たちであり、佐々木翔は森保監督がかつて指揮を執ったサンフレッチェ広島時代の教え子なのだ。
U−21日本代表は現在、インドネシアで開催されているアジア大会に参戦しているが、A代表とは異なり、世代別代表には選手の拘束力がない。そのため、海外組の彼らは所属クラブの許可を得られなければ招集できず、許可を得られたとしても、シーズン開幕前の大事な時期に招集することは得策ではない。
しかし、インターナショナルマッチウイークにA代表として選出するなら招集は可能となる。「A代表のグループに入ってもいいだけのパフォーマンスを見せている」(森保監督)ということが大前提だが、彼ら3人のA代表への招集は、兼任監督ゆえのアイデアであり、メリットでもあるのだ。
一方、佐々木に関して森保監督は「チームとして首位を走っていて、その中で攻守において継続的にいいパフォーマンスを出している」と評価している。加えて、指揮官の戦術を熟知しているというストロングポイントがあるのも事実だ。
新監督がチームを立ち上げるとき、戦術をスムーズに浸透させるため、自身が指導したことのある選手を招集するのはよくある。ジーコが代表監督に就任した当初は鹿島アントラーズの選手が多く呼ばれ、オシムが日本代表を率いたときは、やはり千葉の選手がたくさん招集された。
そのため、佐々木だけでなく、同じく森保監督のもとでプレーした経験のある青山敏弘、浅野拓磨はチームメートが戦術理解を深めるサポート役としても、重要な役割を担うだろう。また、森保監督の指導を受けたわけではないが、戦術的に同じ流れをくむミハイロ・ペトロヴィッチ監督の“申し子”でもある槙野智章も、チームの戦術理解において貴重な存在になるはずだ。