連載:指導者として

【戸田和幸連載(6)】慶大で多くを学び、確認できた半年間 Iリーグはいよいよ勝負の後期へ

戸田和幸

「Cチーム」の位置付けの難しさ

2月から始まった指導者としての新しい時間も気が付けば半年を過ぎました 【宇都宮徹壱】

 前回まで5回に渡り、慶應義塾大学ソッカー部で指導する事になった経緯と自分が受け持つCチームのチーム作りについて紹介させてもらってきました。
 インディペンデンスリーグ(Iリーグ)が開幕するまでの2か月半、Cチームとしてのプレーモデルを定め、Iリーグで結果を残す為のベースとなる闘い方を見つける為に、たくさんの練習試合を行い、様々試しました。

 プレシーズンを進めていく中で難しかった事、それは「Cチーム」の位置付けです。
 慶應ソッカー部の中にはAからDまでの4チームが存在し、それぞれにリーグを闘っていますが、パフォーマンスが良かった選手は上のチームに上げ、そうでない選手は下のチームに下りてもらうという選手の入れ替えを不定期ですが行ってきています。

 各チーム毎に結果を残す為に日々トレーニングに取り組みますが、やはりAチームが結果を残す事がソッカー部としては一番重要な事、より良いパフォーマンスを見せている選手は上のチームに上げてチャンスを与えつつ、既存の選手達に刺激を与えていく必要があります。

 僕の担当するCチームが目指す事は二つ、一つはBチームに選手を送り込む事で、もう一つはCチームとしてIリーグで結果を残す事。
 この二つを同時進行で追いかける事です。

 BチームとなるとCチームの選手よりも「競技者」に近い身体を持ち、サッカーで上を目指したいというメンタリティを持つ選手も増えます。
 またチーム同士の交流戦を行う事もあり、自然とAB間で選手の入替えを行う事が多くなります。そのため、チームとしては良い勝負が出来ても個人としてはまだ違いがあるので、現状CチームからBチームに選手を送り込む事はまだ実現できておらず、練習に呼んでもらった事は何度かあるものの今現在、昇格した選手はまだ出せていません。

 指導者としてはリーグでの結果はもちろんですが、各選手を成長させ上のチームに送り込む事も選手達のモチベーションに繋がり自分自身に対する評価の対象となるので、目先の試合に勝つことだけに視点が向き過ぎないよう、小さくまとめてしまわないよう試行錯誤しながら指導にあたっています。

 現状はAからBに下りてきた選手によってCに下りてくる事になったBの選手と、Dチームでの頑張りを評価された選手、上下両方から選手が度々加わる形でCチームはシーズンを闘ってきています。

一番人の出入りが多いCチーム

 選手の入替えは特に下のカテゴリーの選手に与えるモチベーションを考えると定期的に行うべきだと考えますが、そこで難しい事といえば、出入りによる人数調整を行わないとトレーニングを効果的に行えなくなる事です。

 上からも下からも選手が入って来るという点ではCチームというところは一番人の出入りが多く、チームとして如何に共通のものを持ってサッカーが出来るかという点で考えると簡単ではないなと感じます。

 また「C」だからこその難しさで言うと、選手の内面、目的意識やモチベーションが挙げられます。
 これは特に上のチームから下りてきた選手に付いて回るものですが、シーズンが始まる時に振り分けられたチームからのスタートとなるので、やはりBからCに下りてくる事は選手にとっては「落第の烙印」を押された事になります。

 実際にこれは冗談ではなく、BからCにと言われたタイミングでモチベーションを失い、ソッカー部を離れてしまった選手もいました。

 また「自分はCチームにいるべき選手ではない」という上を目指す強い気持ちが間違った方向に出てしまい、セルフィッシュなプレー選択ばかりとなってチームとして機能出来なくなってしまうという事もありました。

 選手である以上、常に上を目指すのは自然でとても良い事ですが、元々割り振られたチームがBだった事でCに下がるという事実を受け入れられず、「こんなところにいたくない」という気持ちが生まれ、パフォーマンスに良くない影響を与えてしまう選手がいました。

 指導者としては、置かれた環境で最善を尽くす以外にそこから上昇していく術はないという事を時に映像も用いながら説いてきましたが、上手く軌道修正が出来ずパフォーマンスが低下し、Cでも試合に出られなくなってしまう選手もいました。

 これらは如何に自分を客観視し正しい現状認識の元、ひたすらに努力を積み重ねる事が出来るかが成長には欠かせないという事が良く分かる例だと思いますが、それとはまた別に自分が置かれた場所から自分自身を見つめ直し、選手として改めて上を目指す気持ちにさせられない自分の力不足を感じました。

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著者プロフィール

桐蔭学園高を卒業後、清水エスパルスに加入。2002年ワールドカップ日韓大会では守備的MFとして4試合にフル出場し、ベスト16進出に貢献。その後は国内の複数クラブ、イングランドの名門トッテナム、オランダのADOデンハーグなど海外でもプレー。13年限りで現役を引退。プロフェッショナルのカテゴリーで監督になる目標に向けて、18年からは慶應義塾大学ソッカー部のコーチに就任。また「解説者」というサッカーを「言語化」する仕事について、5月31日に洋泉社より初の著書『解説者の流儀』を出版

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