アルビS社長が重視する「ストーリー」 Jクラブの海外拠点が本家を追い抜く理由

宇都宮徹壱

新潟がJ1に昇格した年に誕生したアルビS

6試合を残してリーグ3連覇を決めたアルビレックス新潟シンガポール 【(C)PLAYMAKER/LEO SHENGWEI】

《いずれにしても非常事態なので、週末の予定を全部キャンセルして新潟に向かうことにした。できること全てをしないと。まだまだ諦めない。》

《正直、最近は下ばかり見てた。でも、残り15試合。プレーオフ圏内まで勝ち点差14。これって決して夢物語じゃないんじゃないか? 未来は、イメージした人だけにやってくるんだぜ。》

 8月8日、J2第28節終了時点で19位に沈むアルビレックス新潟は、鈴木政一監督の解任を発表。その日の午後、同クラブの取締役であり、アルビレックス新潟シンガポール(以下、アルビS)の代表取締役社長でもある是永大輔氏は、このようなツイートをアップしている。当事者でなければ「ポジティブすぎる」と思われるこのツイートに対して、多くの新潟サポーターが共感していたのが実に印象的であった。

 昨シーズンをJ1の17位で終え、15シーズンぶりにJ2を戦うこととなった新潟。だが、クラブの低空飛行は少なくとも2015年から続いていた。ここ3シーズンは監督の途中解任が恒例となり、4人連続でキャプテンが他クラブへ移籍している。チームの求心力となる選手が不在の厳しい状況が続く「本家」を尻目に、このところアルビSは毎年のように充実したシーズンを送っている。

 15年は4シーズンぶりにリーグカップを制すると、カップ戦でも優勝して2冠を達成。16年には初のリーグ優勝を果たすと、リーグカップとカップ、さらにチャリティーシールドの4冠を達成し、国内すべてのタイトルを独占。翌17年にも2年連続で全冠制覇。さらに今季のリーグ戦は、開幕から17連勝という破竹の勢いを見せ、18試合目に3連覇を決めたものの「1−1で引き分けたので選手はうなだれていました」(是永社長)というエピソードまで残している。

 そんなアルビSが発足したのは04年のこと。おりしも新潟がJ1に昇格し、ホームの入場者数でJリーグのトップを確保していた頃だ(前年もJ2ながら浦和レッズを抜いて1位)。一方のアルビSは、シンガポールリーグに参戦したものの、「新潟のサテライトチーム」としての存在意義は発揮できず、毎年赤字を新潟から補填してもらうだけの「お荷物」とさえ目されていた。それが15年の間に、両者の立場はすっかり逆転して今に至っている。

「世界へステップアップするハブにする」というストーリー

アルビSの社長として是永氏が着任したのは08年1月。その後、右肩上がりでクラブは成長を続けている 【宇都宮徹壱】

 新潟とアルビSとの劇的で奇妙な逆転現象。その起点となったのが、アルビSの社長として是永氏が着任した08年1月である。今回、是永社長が帰国して東京にいるタイミングを見計らい、インタビュー取材が実現した。取材場所に指定されたのは、むき出しのコンクリートと開放的なガラス窓が印象的なオフィスビル。このほど設立された、アルビレックス新潟シンガポール渋谷(後述)のオフィスである。あいさつもそこそこに、まずはシンガポール着任当初の思い出を振り返ってもらった。

「もともとアルビSは、若手育成の場を海外に置こうというイメージからスタートしたと思うんです。1、2年もしたら、選手がレベルアップして戻ってくるだろうという。ところが、ちょうど新潟がJ1に昇格するタイミングで、チーム強化を考えると(アルビSの)選手たちのレベルがそこまで達していないという判断になってしまった。若い選手を育てようという志はあっても、実現には程遠いし、存続させるだけでもコストがかかってしまう。

 アルビSの存在が希薄になっていたので、『今後はこうしてほしい』などの指示は新潟から特にありませんでした。がんばれ、くらいですかね(笑)。僕が(社長に)就任した当初は、まさにそういう状況でした」

 そんな中、是永社長が自ら新潟に提案した新社長としてのミッションは、まず会社を経営的に独り立ちさせて利益を出すこと。そして、Jクラブの海外拠点としての存在感を明確にすることであった。そこから逆算して得られた解は、アルビSを「日本人選手が世界へステップアップするハブにする」というストーリー。実は是永社長が着任する以前から、インドで活躍した末岡龍二やフィンランドで今もプレーしている和久井秀俊など、多くの選手たちがアルビSからは羽ばたいている。シンガポールという国自体が、東南アジアのハブとなっていることを考えれば、是永社長に迷う理由はなかった。

 かくしてアルビSは、Jクラブでのプレーがかなわなかった若手選手たちにプレーの場を与え、そこでの経験で自信を得た選手たちは他の東南アジア諸国、さらには欧州へとチャレンジするようになる。毎年のようにメンバーが入れ替わる中、それでもクラブは次第に力を付けてゆき、11年には初めてリーグカップを獲得。その後は前述したようにタイトルを総なめにしていく。結果としてアルビSは、今季より「登録選手はオーバーエイジ1人を除き23歳以下、そのうち半分が21歳以下」という特別ルールが課せられることとなった。しかしそうしたハンディにも、是永社長は極めて前向きだ。

「レギュレーション変更があったとき、『それならシンガポール人を2人入れたい』と、こちらから要求しました。単に年齢制限を受け入れてクラブの価値を下げてしまうのではなく、そのぶん別の部分で付加価値を付けるべきだと思ったからです。自国の選手が入ったことで、シンガポールのスポンサーも見込めるし、彼らが成長すれば新潟でプレーする可能性が広がるかもしれない。そういうストーリーを作ることによって、ウチのクラブの価値も高まっていくわけです」

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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