アルビS、8年目で成し遂げた初戴冠=シンガポールから世界へ

是永大輔

クラブ史上初のタイトル!

アルビSはリーグカップで優勝し、クラブ初のタイトルを獲得した 【アルビレックス新潟シンガポール】

 2011年7月30日、アルビレックス新潟シンガポール(アルビS)がリーグカップで優勝を果たした。クラブとしても初のタイトルになるが、海外トップリーグに所属する日本人プロスポーツクラブ自体が世界に例を見ないため、紛うことなく世界で見ても史上初、ということになるのではないか。手前味噌ながら、スゴイことだと感じている。シンガポールでも「Finally(ついに)」という表現で、各メディアで大きく報じてもらった。クラブのチェアマンとして、選手、スタッフの全員を誇らしく思っている。

 シンガポールには、以下の3つのタイトルがある。

1)Sリーグ
12チームの3回戦総当たりで行われる大会。今季は2月から11月に開催。
2)シンガポールカップ
海外からの招待5クラブを含めた16チームでのトーナメント戦。準々決勝と準決勝はホーム&アウエー方式。今季は6月から11月に開催。
3)リーグカップ
Sリーグに所属する12チームから、シンガポールU−23代表の“Young Lions(ヤング・ライオンズ)”が抜けた11チームでのトーナメント戦。全試合一発勝負。今季は7月19日から30日まで集中開催。

 大会方式は少し違うが、それぞれJリーグ、ナビスコカップ、天皇杯に置き換えてもらうと分かりやすいかもしれない。

 さて、アルビSはリーグカップ1回戦で快勝したものの、準々決勝、準決勝、決勝と中2日のスケジュールで延長戦を含めた120分間の激闘が3試合連続、さらに準決勝と決勝は2試合連続でPK戦までもつれ込むなど、選手やスタッフたちはさすがにボロボロのヘロヘロ。最後は精神力の勝利だった。

「PK戦は運だ」とよく言われるが、なぜか、決勝のPK戦では全く負ける気がしなかった。現地で声を枯らしてご声援いただいた皆さん、熱心に支えてくださるスポンサー、サポーターの皆さん、日本から熱い想いを届けてくれた皆さん。そんな皆さんの「念」のようなものがビンビンに伝わってきたおかげか、史上初のタイトルが懸かっているというのに「お、入ったな」、「あ、止めたぞ」といった具合で、とても冷静にPK戦を見ていた。ちなみにわたしは、普段の試合では大声で叫びながら、時にブーイングを浴びせながら観戦しているため、何とも不思議な体験だった。

苦しい時代を経て頂点へ

 アルビSが立ち上げられたのは2004年。今から7シーズン前、アルビレックス新潟の下部組織として作られた。目的は、出場機会の少ない若い選手に実戦経験を積ませること。ところが、新潟がJ2からJ1に上がった時期と重なり、即戦力が必要になったこと、各ポジションに有力選手がいたため、なかなかシンガポールへ選手を送り込むことができなかった。そのうち、ほかのJクラブからの若手選手の受け入れも始めたものの、なかなか結果を残せず、という苦しい時代があったようだ。ここ3年ぐらいは、アルビレックス新潟本体からのレンタル選手、若くしてJリーグで出場機会を失ってしまった選手、セレクション経由で獲得した選手、提携しているJAPANサッカーカレッジからやって来ている選手でチームは構築されている。

 経営的には立ち上げからずっと赤字続きで、しかも新潟本体からの補填額が大きかったため、撤退論も強くあったという。しかし、スポンサーさんやサポーターの皆さまのご協力のおかげで、わたしがやって来たタイミングからは毎年黒字を出せるようになり、新潟本体からの補填も頂かずに独立採算でクラブを運営できるようにもなった。また、着実にシンガポール国内での認識も高まってきており、外国クラブでありながら多くのシンガポール人のファンの方にご声援をいただけるようになってきた。順調と言えば順調だが、唯一、結果だけが残せていなかった。

 そして迎えた2011年シーズン。杉山弘一という芯を持った優秀な監督が昨季から引き続き指揮を執り、指揮官が望むタイプの能力の高い選手をある程度そろえることができたため、開幕前から「イケる」という自信があった。「今年は優勝します」と強気に言い続けてきたが、それも確信に裏打ちされていたものだ。ちなみに、われわれのスタイルはシンガポール――というより東南アジア全般では珍しいショートパスを中心としたポゼッションサッカーで、「シンガポールのバルサ」とも呼ばれている。もともとサッカーの内容にプライドを持っていた選手たちが、今回の優勝で大きな経験と自信を得たのは間違いない。

 話はそれるが、先日女子ワールドカップで優勝したなでしこジャパンの前田信弘GKコーチ、能仲太司テクニカルコーチは、アルビレックス新潟シンガポールが立ち上げられた04年、それぞれGKコーチ兼選手、コーチとして在籍していた。もちろん、シンガポールの経験だけがすべてではないし、彼らのたゆまぬ努力がベースにあるのはもちろんだが、海外のトップリーグでの戦いは選手だけでなく、スタッフにも大きな経験を与えたのかもしれない。

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著者プロフィール

1977年生まれ。日本大学芸術学部卒。IT企業に入社後、モバイルを中心としたサッカービジネスに携わり、日本最大の有料サッカーメディアを作る。サッカージャーナリストとして日本代表および海外サッカークラブの試合を取材しながら世界各地を周った。一方でFCバルセロナ、マンチェスター・ユナイテッド、リバプールといった海外クラブとのビジネスも立ち上げた。アルビレックス新潟シンガポールチェアマン兼CEO。シンガポールサッカー協会理事。アルビレックス新潟バルセロナプレジデント。個人ブログ(http://www.korenaga.ws)、Twitter ID(_kore_)

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