森岡亮太が飛躍を遂げた1年を振り返る 来季は「CLアンセムをピッチで聞きたい」

中田徹

ブリュッセルでインタビューに応じてくれた森岡亮太 【中田徹】

 森岡亮太にとって、26歳は決して忘れられないものになったのではないか。

 シロンスク・ヴロツワフ(ポーランド)からベフェレン、さらにアンデルレヒトへとホップ・ステップ・ジャンプと飛躍したばかりでなく、3つの大きく異なるプレースタイルを会得した1年でもあったのだ。

 ポーランドリーグはフィジカルに特徴のあるリーグだという。その中でも下位チームのシロンスク・ヴロツワフには、気の利いたパサーがおらず、森岡はまるでストライカーのように独力でゴールを狙いにいったのだという。

 昨夏、加入したべフェレンでは、巧みなボールタッチと絶妙の間合いからピッチ上で時間とスペースを作り、そこからスルーパスを繰り出して「絶滅危惧種の10番」としてベルギー人を虜にした。

「ベルギーリーグのベストプレーヤーの1人」として認められた森岡は1月末、アンデルレヒトにステップアップを果たす。ここでは、より戦術的なプレーが求められ、森岡はフリーランニングをした先で相手と1対1になるという、ボールがないところでのチャンスメークがタスクの1つとなった。

 4月12日に27歳になった森岡は、29日のシャルルロワ戦で浮き球のスルーパスにより、味方のゴールを鮮やかにアシストした。やはり森岡のスルーパスは美しい。

 その一方で、アンデルレヒトに入ってからのゴールは、相手の“嫌なところ”に走り込んで押し込む、ストライカーのようなものが多い。同じシャルルロワ戦のスライディングボレー、5月6日のクラブ・ブルージュ戦で決めたヘディングのゴールなどは、その典型だ。

 3つのクラブでプレーしたこの1年で、間違いなく森岡のサッカー選手としての引き出しは増えている。今回行ったインタビューからも、それが伝わってきた。(取材日:4月30日)

まだまだステップアップしていきたい

ポーランドからベルギーのベフェレンに移籍し、ブレークを果たした 【Getty Images】

――4月12日に27歳になりました。昨年はツイッターで「26歳! 今年は飛躍します!」と誓っていましたが、その言葉通りの26歳になりましたね。

 そうですね。少なからず飛躍したと思います。

――どのような26歳でしたか?

 シロンスク・ヴロツワフからベフェレン、さらにアンデルレヒトと、チームがポンポンと一気に2つ変わりました。それは今までになかったことでした。

――日本にいたころは移籍がないキャリアでしたからね。

 はい。ポーランドには24歳の冬に来ました。初めての海外で何も分からず、言葉もしゃべれず、環境の変化がありすぎてストレスしか感じませんでした。もちろん、モチベーションはずっと高かったのですが、「楽しめていたか?」と聞かれると、楽しめていなかったです。25歳、26歳と1年半、ポーランドで過ごして海外の生活にもだいぶ慣れ、それからベルギーに来たら、英語が通じて住みやすい。全てがよく見えました。

 ポーランド時代、最初のアウェーゲームはバスで8時間もかかりました。ベルギーだと、遠くても2時間の移動です。そして、オフにはベルギーからいろいろな国に行けるじゃないですか。ブリュッセルには日本食のスーパーもある。住みやすさ、サッカーをする環境が本当に良くなりました。

 サッカーの面でも、ベルギーはちゃんとボールをつなごうとする意識を持っているので、プレーしていて楽しいです。

――27歳を記念したツイッターのメッセージは?

 今年も飛躍します。

――今年も?

 それが日本語のメッセージ。英語でもメッセージを書きましたが、英語でそのまま直訳して書くと、クラブに対してあまり良いイメージがない。

――「アンデルレヒトからすぐに出て行きたいのか」と思われてしまう?

 そうなるじゃないですか。だから英語では『I never want to stop working hard to become a better player(より良い選手になるために、決してハードワークを怠らない)』と書きました。今後も変わらず、まだまだステップアップしていきたいです。常に飛躍、飛躍です。

べフェレンでのプレースタイルが昔の自分に近い

――ベルギーのジャーナリストいわく「アンデルレヒトで活躍するということは、チャンピオンズリーグ(CL)でも通用する選手である」。今、アンデルレヒトは2位(編注:インタビュー時点での順位。現在は3位)。仮に優勝を逃しても、来季のCL出場が楽しみです。

 そうですね。CLでやっぱりやりたいです。CLはヨーロッパの最高峰。5大リーグでプレーするよりも上の舞台じゃないですか。あのピッチに立ちたい。あのアンセムをピッチの上で聞きたいですよね。

――ベフェレンで着けた背番号44番は、思い入れのある番号だったそうですね。

 少年団のときに着けていた番号です。僕のルーツは少年団(京都のFCソルセウ)ですからね。本当にサッカーが楽しいということを学んだ。そこが全てです。

――昨日(4月29日)のシャルルロワ戦では、色気のあるスルーパスからアシストを決めました。

 昔から、ああいうプレースタイルでしたので。

――小中高と、周りはそのプレースタイルを育ててくれたわけですよね?

 はい。ずっと自分の思うようにプレーメークするという形でやらせてもらってきました。べフェレンの感じが、昔の自分に近かったんです。ボールを奪ったらまず自分がもらって、そこからみんなが一気に動き出して、自分がピンポイントに味方へと出す。そういうプレースタイルでした。

――44番を着けたべフェレンで、原点回帰のプレーができたわけですね。

 アンデルレヒトでも、ああいうプレーをもっと出せればいいのですが、今はポジションが違いますし、良いパスを出せる選手もいっぱいいるので、どうしても自分が受け手になるシーンが多いです。その中で、昨日のようなパスが出たというのは、自分としては良かったです。ああいう感覚は昔からやってきています。

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著者プロフィール

1966年生まれ。転勤族だったため、住む先々の土地でサッカーを楽しむことが基本姿勢。86年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会を23試合観戦したことでサッカー観を養い、市井(しせい)の立場から“日常の中のサッカー”を語り続けている。W杯やユーロ(欧州選手権)をはじめオランダリーグ、ベルギーリーグ、ドイツ・ブンデスリーガなどを現地取材、リポートしている

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