連載:指導者として

【戸田和幸連載(1)】慶大ソッカー部で指導を始めました 「言葉」を駆使し、選手と向き合う日々

戸田和幸

引退から5年目、指導者の道に

この2月から、縁あって慶應義塾大学ソッカー部にて指導をする機会を得ました 【宇都宮徹壱】

 皆さん初めまして。
 赤いモヒカンで覚えている方もいるかもしれません、2002年のサッカーワールドカップ日本代表・戸田和幸です。

 13年シーズンをもって36歳で現役を引退し5年目に入ったこの2月から、縁あって慶應義塾大学ソッカー部にて指導をする機会を得る事になりました。
 1921年創立、天皇杯にて9回、関東大学リーグ1部で7回、全日本大学選手権では3回の優勝という輝かしい歴史を持つソッカー部ですが、昨シーズン関東大学リーグ1部から2部へと降格する事となり。

 1部への昇格が最重要課題となる今シーズン、縁あって指導の場を与えられた私は上から3つ目に位置するCチームを預かりチームの底上げという役割を任され、日吉にある練習グラウンドにて日々選手たちと向き合ってきています。

 今回、まだ駆け出しではある指導者としての自分が日々、何を考え取り組んでいるのか発信する場をいただく事になりました。
 まだまだ未熟な一人の指導者としてではありますが、何を考え、どう選手と向き合ってきているのか、実際にどんな事が現場で起こっているのかを出来る限り記してみたいと考えています。

引退してから「解説者」としてチャレンジ

引退後、「解説者」として新たなキャリアを切り拓いていくことを決断 【Getty Images】

 このコラムの本題である「指導」の話を始める前に少しだけ。

 現役を退いて以降今日に至るまでの私の本業は、ご存知の方もいるかもしれませんが所謂「解説者」になります。
 サッカーというスポーツが持つ魅力と、プロのサッカーに存在する様々な要素についてできる限り正しくあるがまま伝えようと「言語化」する事にチャレンジしてきた4年間。

 国内外問わず、多くのリーグやコンペティションを「解説者」として視聴者であるサッカーファン・選手・指導者の方たちに向け自分なりの方法で伝えてきました。
 その試合で何が起こっているのか、それはなぜ起きているのかといった事について「言葉」を駆使し積極的に伝える事に挑戦してきました。
 その「言語化」という作業はそのまま指導の道へ進むための準備も兼ねて取り組んできたものでもあります。

 なぜか。

 理由は二つあります。

 一つ目の理由は、30歳を迎えるころには将来自分は指導者に向かうだろうという確信があり、選手としての自分が「そうなるであろう」というイメージをサッカー界の人々に自分が望むようには上手く発信出来ていない事を理解していたという事が挙げられます。
 赤いモヒカンのハードワーカー、歯に衣着せぬ物言いは「扱いづらい選手」という評価につながり、選手として築き上げたイメージはとても論理的な思考で物事を進められるような人間には見えない。

 こんなところでしょうか。

 実際、現役を退くタイミングでのメディア・現場からのオファーはゼロ。

 全ては想定内の出来事でした。

 だからこそ、一度フリーな立場に身を置き、サッカーと指導を一から勉強する道を進む選択をしたのです。

 目的は、現役時代に既に抱くようになっていた「指導者」という新たな大目標に向かって正しく自分を向かわせられる為の新たなプラットフォームを構築する事。

 そして目指す世界の住人たちに対し、できる限りその時の自分を正しく見せていく事でサッカー人としての自分のイメージを再構築する為に「解説者」という職業に身を置き、新たなキャリアを切り拓いていく決断をしました。

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著者プロフィール

桐蔭学園高を卒業後、清水エスパルスに加入。2002年ワールドカップ日韓大会では守備的MFとして4試合にフル出場し、ベスト16進出に貢献。その後は国内の複数クラブ、イングランドの名門トッテナム、オランダのADOデンハーグなど海外でもプレー。13年限りで現役を引退。プロフェッショナルのカテゴリーで監督になる目標に向けて、18年からは慶應義塾大学ソッカー部のコーチに就任。また「解説者」というサッカーを「言語化」する仕事について、5月31日に洋泉社より初の著書『解説者の流儀』を出版

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