新天地アンデルレヒトで苦しむ森岡亮太 「勝って当たり前」のチームで戦う難しさ

中田徹

移籍市場が閉じる間際にオファーが届く

森岡はベフェレンからアンデルレヒトへステップアップを果たした 【写真は共同】

 現地時間1月27日のズルテ・ワレヘム戦を終えてから、森岡亮太は初めてアンデルレヒトからオファーがあったことを知った。アンデルレヒトはチームのエース、ソフィアン・ハンニをスパルタク・モスクワに売るべく交渉を進めており、その後継者として森岡に白羽の矢が立ったのだ。「冬の移籍市場の目玉」と呼ばれていた割には、実際のオファーが来るまでかなり時間がかかった。

「全然(オファーは)来ていないけれど、ニュースに出まくっていたからね。すごくソワソワしました」

 ヴィッセル神戸時代の森岡に、ヨーロッパのクラブはほとんど興味を示さなかった。

「そんなもんなんですよ。日本の中位クラブでプレーしていて、日本代表にも入ってなかったら(実際は2014年に2試合出場)、なかなかヨーロッパのスカウトから見てもらえない」

 神戸の公式サイトに寄せた森岡のお別れの言葉はこうだった。

「ポーランドへ行って、この先、ヨーロッパで活躍できるように頑張ってきます」

 このメッセージには「ポーランドに行けばスカウトがたくさん見てくれるだろう」という希望がこもっていた。しかし、16年2月から半シーズンで7ゴールを決めた森岡に興味を示すヨーロッパのクラブはほとんどなかった。

「やっぱりポーランドはヨーロッパのサッカー主要国から遠かった。ポーランドが遠いんだから、日本のJリーグの中位クラブの選手なんて全然見てもらえない(苦笑)」

森岡「ヨーロッパに来たら何とかなるぞ」

 当時は、ポーランドから“ヨーロッパ”へステップアップする道筋が見えなかったという。それでもべフェレンのスカウトが他の選手を見に行った際に森岡を“発見”し、17年夏、森岡は晴れてベルギーに渡った。

 それから半年。ベフェレンで7ゴール11アシストという素晴らしい数字を残した森岡はベルギーリーグを代表する選手となり、今やベルギー一の名門アンデルレヒトの背番号10を背負うことになった。

 意を決してゼロ円移籍でポーランドへ来たものの、ヨーロッパのクラブから見てもらえなかった森岡がアンデルレヒトに移籍したのは、ヨーロッパで上を目指す無名選手に励みになるし、夢にもなる。森岡は「そうですね」と言ってから続けた。

「どこでもいいからヨーロッパに来たら何とかなるぞ――。というのを言いたいですね。自分としてはもっと上に行って、(サッカー大国のリーグとは違った経路でステップアップしていく)別の可能性を作っていきたいです」

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著者プロフィール

1966年生まれ。転勤族だったため、住む先々の土地でサッカーを楽しむことが基本姿勢。86年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会を23試合観戦したことでサッカー観を養い、市井(しせい)の立場から“日常の中のサッカー”を語り続けている。W杯やユーロ(欧州選手権)をはじめオランダリーグ、ベルギーリーグ、ドイツ・ブンデスリーガなどを現地取材、リポートしている

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