殊勲の勝利で“成り上がった”木村翔「どんどん欲が出てきている」

船橋真二郎

1ラウンド3分半の練習でスタミナ強化

――先ほど、「あれが木村翔のスタイル」ときっぱり言っていましたが、私の記憶では4回戦、6回戦の頃は、ガードを固めて、ジャブを突いて、まとめるところはまとめるけど、そこまでは堅実に試合を進めていた印象があります。

 そうですね。できるなら、疲れたくない。そういう感じだったかもしれないですね(笑)。昔は絶対に4ラウンドも持たないからって、スタミナを考えながら戦っていました。今なら、1ラウンドからガーッと行っても、絶対に12ラウンド持つ自信があるので。そこが変わったところかなと思います。

――有吉会長は「厳しい練習ができるようになった」という言い方をしていました。

 その自信かもしれないです。練習量というか、僕の場合は集中力がないから、会長が練習は12ラウンドだけでいいと。その代わり、12ラウンドしかやらないんだから、全力で全部出しきれと。ギュッと詰めてやっていて、それが僕に合っているのかもしれないです。

――でも、ジムのタイマーは通常3分のところ、1ラウンド3分半に設定してある。先ほど、言っていたミット打ちも、それで12ラウンドやっているということですか?

 はい。1ラウンド3分半で、インターバルが30秒(通常1分)。その繰り返しで12ラウンドですね。

――タイや香港でのスパーリングは、1ラウンド4分と聞いています。それをゾウ戦のときも、五十嵐戦のときも、合計して300ラウンド以上、重ねたと。

 本当にキツイんですけど、それもスタミナ強化になりますし、自信になりますね。

八重樫とのスパーリングが大きな経験に

世界を意識し始めたのは、3階級制覇を成し遂げている八重樫とのスパーリングをしてからだと話す 【写真は共同】

――そういう厳しい練習ができるようになったのは、いつ頃からですか?

 アジア(WBOアジア・パシフィックタイトル)のチャンピオンになる前からじゃないですかね? 初めてタイトルマッチをやると決まってから。

――かなり最近ですよね(笑)。

 そうですね。最近ですね(笑)。

――その王座決定戦(16年11月)は、大阪で取材させてもらったのですが、確かに今までの印象が変わるくらい手数が出ていたし、最後まで打ち合って。今のスタイルの原型になった試合かもしれない。あの12ラウンドも大きかったわけですね。

 12ラウンド、フルに動けたのは経験になりましたし、自信になりました。そうですよね、確かにそうかもしれない。

――ただ、木村選手も相手の坂本真宏(六島)選手も当時は日本の下位ランカー。正直に言うと、これに勝ったから世界とは、とても思えなかった。

 もちろん、そうだと思います。

――いつ頃から現実的な目標として、世界を意識し始めましたか。

 大阪の試合で勝って、世界ランキングに入ってから、これで世界チャンピオンと戦える位置まで来たな、とは思いましたけど。でも、意識し始めたのは、八重樫(東=大橋ジム)さんとスパーリングをさせてもらってからですかね。やっぱり、3階級制覇した人じゃないですか? すごくいいスパーリングができたわけじゃないのですが、八重樫さんにしっかり世界の壁を教えてもらって、体で感じられたことは大きかったと思います。

――八重樫選手とは、いつ頃からスパーリングを?

 正確には覚えていないのですが、日本ランカーになってからですね。だから、日本ランカーの僕を使ってくれた大橋(秀行)会長、八重樫さんには感謝しかないです。

有吉会長 (同門の日本ランカーの)渡邉卓也が井上尚弥選手のスパーリングに行く時に、一緒に連れて行ったんですよ。それで最初は(元東洋太平洋、日本ミニマム級王者の)原隆二選手とやらせてもらって。そうしたら、大橋会長から「強いじゃん。次、八重樫とやってよ」と言ってもらえて。それからですね。

――原選手とのスパーリングで認めてもらったわけですね。

有吉会長 ですから、うちのジム以外のボクシング関係者で木村がゾウ・シミンに勝てると言っていたのは、大橋会長くらいです。

 大チャンスだって、言ってくれましたよね。

有吉会長 もう決まった瞬間から「大チャンスだよ。絶対に勝てるから」と熱いメッセージをくれて。光栄でしたし、ありがたかったですね。

――大橋会長の言葉は自信になりますね。

有吉会長 もちろん自信になったし、WBOアジアのタイトルマッチができる、八重樫選手とスパーリングができる、それだけでも木村は頑張れちゃうから(笑)。

 いや、世界チャンピオンとスパーリングさせてもらうんだから、頑張らなきゃと思いましたし、「木村くん、使えないよ」と言われないように練習も一生懸命、頑張りましたよ(笑)。そういうのも経験になったし、自信になったのだと思います。

――そういう積み重ねで、スタミナにも自信がついたし、自分のスタイルも固まって、試合でも出せるようになっていったのですね。

 そうですね。あれだけ1ラウンドから行って、最後まで持つのかなと思ったと、いろいろな人から言われるのですが、ああやって1ラウンドから12ラウンドまで攻め続けるのが、僕のボクシングだし、攻め続けることで勝利も見えてくると思っていますし。

――もう12ラウンドじゃなくて、何ラウンドでも行けちゃう感じ?(笑)

 あ、もう何ラウンドでも(笑)。

「僕が防衛し続ければ面白い試合も見えてくる」

防衛を続けていけば日本人同士のタイトルマッチや統一戦も見えてくる。これからの木村の戦いに注目だ 【船橋真二郎】

――これから、その木村翔のスタイルでどんな試合を見せていきたいですか?

 熱い試合ですよね。気持ちのこもった熱い試合。世界戦なんで、今までやってきた練習だけじゃなくて、人生すべて懸けないとダメだと僕は思っているんで。自分の泥くさいボクシングで一生懸命、戦う姿をいろいろな人に見てもらって、勝利をつかんでいければいいと思います。

――目標の世界チャンピオンになって、初防衛もして、気持ちは?

 いや、最高ですよ。最高ですけど、まだこれからですね。まだまだお金も稼ぎたいですし、もっと有名になりたいですし。どんどん欲が出てきているんで。

――記者の間では、同じ階級のWBCチャンピオン、比嘉大吾(白井・具志堅スポーツ)選手との試合を見てみたいという声が、すごく多かったんですよ。

 本当ですか?まあ、僕も田口(良一=ワタナベジム)選手みたいに統一戦をやってみたい気持ちはありますし、タイミングが合えば、やってみたいとは思いますけど。

――全勝全KOの比嘉選手となら、間違いなく熱い試合になりそうですよね。

 それは間違いないと思いますし、やるならガンガン打ち合いますよ。

――いずれ、現在(WBOフライ級)2位の田中恒成(畑中)選手が1位に上がってきます。現実的に指名試合で戦う可能性が高いですね。

 だから本当に頑張らないといけないし、僕が防衛し続けて、生き延びていれば、面白い試合も見えてくると思うんで。

――では、最後に仮想対決になりますが、もし木村翔と戦うことになったら?(笑)

 木村翔は嫌ですね(笑)。1ラウンドからどんどん来るし、絶対に疲れる試合になると思うので嫌ですよ。だから、やっぱり相手の嫌がるボクシングをしないといけないですよね。それが一番だと思います。

■木村 翔(きむら・しょう)プロフィール
1988年11月24日生まれ、埼玉県熊谷市出身。16勝9KO1敗2分の右ボクサーファイター。中学3年で地元のジムでボクシングを始め、本庄北高校1年時にインターハイ出場も初戦敗退。ボクシングから離れる。二十歳で母親を病気で亡くし、人生を見直して一念発起。23歳で東京に出て、青木ジムに入門する。2013年4月のプロデビュー戦は、サウスポー相手に初回KO負けを喫するが、16年11月にWBOアジア・パシフィックフライ級王者となり、世界ランキング入り。昨年7月、中国でWBO世界フライ級チャンピオンに。

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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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