東京2020へ覚悟語った日本の若きエース 車いすバスケのレジェンドと特別鼎談

宮崎恵理

カナダを3度、パラリンピック金メダルに導いたアンダーソン(左)と、日本の将来を担う古澤(中央)、鳥海による鼎談(ていだん)が実現した 【スポーツナビ】

 パトリック・アンダーソンの名前を聞いたことがあるだろうか。9歳の時に交通事故で両足のひざ下を切断した後、車いすバスケットボールを始めるとメキメキと頭角を現した。21歳でカナダ代表としてシドニーパラリンピックに出場し金メダル。アテネで2連覇を達成し、北京では銀メダルを獲得。そして、ロンドンで3度目の金メダルに輝いた、世界をけん引するスーパースターである。ロンドン後、代表から引退し、車いすバスケ全米リーグのチーム、ニューヨーク・ローリンニックスでプレーしながら、ミュージシャンとしても活動するも、2017年、カナダ代表に復帰した。

 17年11月、そのレジェンドが来日。トヨタ自動車とWOWOWが共催した「IMPOSSIBLE CHALLENGE FIELD」にゲスト出演するためだ。これは、東京ミッドタウンで行われたパラスポーツの体験型イベントである。

 このイベントには日本の若きエース鳥海連志、古澤拓也も参加。鳥海は、生まれつき両下肢とともに手指がない。しかし、抜群のスピードと機動力が日本代表の及川晋平監督の目に止まり、高校3年でリオ大会に初出場した。古澤は二分脊椎により小学6年から車いす生活となり、中学に進学すると車いすバスケを始めた。ジュニア世代の代表として、17年6月には、カナダ・トロントで行われたU23世界選手権に鳥海とともに出場し、キャプテンを務めた。

 カナダのレジェンドと、日本を代表する若手2人によるトークセッションが実現した。プレースタイル、学び、そして20年の東京パラリンピックに向けて、熱いバトルがオフコートで弾けた――。

アンダーソン、強さの源泉は「敗北の経験」

代表復帰の理由を語るアンダーソン 【スポーツナビ】

――アンダーソン選手は昨年、代表に復帰されました。その動機は何だったのですか?

アンダーソン リオパラリンピック前からずっと練習は続けていた。個人的にはニューヨークでプレーもしている。だから、バスケから離れることはなかったよ。代表に復帰したのは、そもそもカナダには親友がたくさんいる。彼らともう一度、一緒にプレーしたいと思ったんだ。また、今の若い選手たちとプレーすることで、どんな化学反応が起きるのかを見てみたいという気持ちも強い。それで復帰を決めたんだよ。

――初出場のシドニーパラリンピックから始まり、アテネで2連覇、北京では銀メダルでしたが、その4年後のロンドンで3度目の金メダル。その強さはどんなところにあるのでしょうか?

アンダーソン 自分が向上するためのプロセスの中で、たびたび敗北という経験があった。それが大きい。シドニーで初めてチャンピオンになったわずか2年後、日本の北九州市で開催されたゴールドカップ(世界選手権)では、準決勝でアメリカと対戦して、再延長の末、敗北し3位。その直後は負けることに恐怖心すら抱くようになったよ。でも、敗北から目をそらせてしまえば、さらに負けることになる。もっともっとうまくなりたい。そういう気持ちに変わっていったんだ。

――そして04年のアテネパラリンピックで王者奪回したのですね。

アンダーソン それでも、08年の北京パラの決勝戦で再び敗北を味わった。ただ、この時の負けは北九州の時とは違う。準決勝で勝利したことで完全に舞い上がって自信過剰になっていた。その大きな勘違いによって、結局、金メダルを逃したんだよ。でも、こうした敗北があったからこそ前に進み、ロンドンパラでの優勝につながったんだ。マイナスがあったからこその道だったと思う。

――カナダを勝利に導いた指揮官であり、アンダーソン選手が進学された米イリノイ大でも教べんを取っていたマイク・フログリー氏(編集注:シドニー、アテネ、北京パラリンピックのカナダ代表監督)からはどんなことを学びましたか?

アンダーソン 1オン1、2オン2といった基礎をしっかり習得すること。イリノイ大の4年間は車いすバスケについての理解を深めていった時期だったね。

――古澤選手、鳥海選手、今のお話、日本代表の及川(晋平)監督の指導と照らして、うなづけることも多いのではないですか?

アンダーソン シンペー? 彼はイリノイ大でマイクに師事していたんだよね。シドニーパラや北九州のゴールドカップでは、彼とも戦ったよ。僕がマイケル・ジョーダンなら、彼はマジック・ジョンソンだ!(笑)

古澤 及川監督には、バスケと車いすバスケの両方についての基礎を教えてもらっていて、それを一つずつ理解することがすごく楽しいです。

鳥海 自分は車いすバスケを始めてたった3年くらいで代表合宿に参加するようになったんです。だから、技術的にはまだまだ足りないところだらけ、という感じでしたし、今も上達したいと思っています。代表合宿のたびに及川監督から基礎を学ぶことができて、やりがいがある。さっきパトリックさんが言われたように、もっとうまくなってやろうという気持ちがさらに増しました。

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著者プロフィール

東京生まれ。マリンスポーツ専門誌を発行する出版社で、ウインドサーフィン専門誌の編集部勤務を経て、フリーランスライターに。雑誌・書籍などの編集・執筆にたずさわる。得意分野はバレーボール(インドア、ビーチとも)、スキー(特にフリースタイル系)、フィットネス、健康関連。また、パラリンピックなどの障害者スポーツでも取材活動中。日本スポーツプレス協会会員、国際スポーツプレス協会会員。著書に『心眼で射止めた金メダル』『希望をくれた人』。

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