連載:未来に輝け! ニッポンのアスリートたち
阿部一二三、世界が驚嘆した柔道の原点 才能に頼らず、努力と挫折で成長した逸材
“一本を取る”柔道で世界王者に
世界選手権で初出場ながら金メダルを獲得した阿部一二三。“一本を取る”柔道は観る者を驚かせた 【写真:中西祐介/アフロスポーツ】
内容が見事だった。6試合中5試合で一本勝ちを収めたのである。しかも決勝でミハイル・プリャエフ(ロシア)を相手に、袖釣り込み腰で一本勝ちしたのを始め、背負い投げ、体落としなど、豪快な投げ技は、海外の柔道関係者や観客を含め、観る者を驚嘆させた。まさしく一本を取る、日本が理想とする柔道がそこにあった。
前途洋々だった中高時代
高校2年生でグランドスラム東京を制覇。破竹の勢いでトップ選手への階段を駆け上がっていった 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】
兵庫県神戸市に生まれた阿部は6歳のとき、柔道を始めた。当初は道場で、同学年相手に勝ったり負けたりを繰り返したという。そんな阿部のために、消防士の父はトレーニングメニューを考えてくれた。それは主に足腰を鍛えるものだったが、そこで体幹が鍛えられることになった。
出会いもあった。夙川学院高校柔道部監督の松本純一郎氏の指導を受けるようになると、力を伸ばしていった。中学2、3年生で全国中学校柔道大会で優勝し、注目を集める存在となっていった。
その後、地元の神戸市にある神港学園高校に進学する。歩みは止まらない。むしろ加速していった。
とりわけ、阿部の名が広く知れ渡ることになったのは高校2年生のときだった。全日本ジュニア選手権を制した阿部は、2014年11月、講道館杯全日本体重別選手権で優勝する。高校生での優勝は、北京五輪100キロ超級金メダルの石井慧が優勝した2004年以来のこと、高校2年生での優勝は史上初のことだった。
さらに同12月のグランドスラム東京大会では、ロンドン五輪で銅メダルを獲得し世界選手権で3連覇していた海老沼匡(パーク24)を準決勝で破るなどして優勝を果たした。高校生での優勝は、男子では史上初だった。
初めて尽くしの快進撃を見せた阿部は、2年後のリオデジャネイロ五輪の代表候補の一人として目されるまでになった。阿部自身、「これでリオに近づけました」と、五輪を意識していた。前途洋々と言ってよかった。