連載:未来に輝け! ニッポンのアスリートたち
ビーチバレー二見梓が進む真っすぐな道 神奈川の海から目指す、東京五輪の表彰台
V・プレミアリーグで目標の日本一をかなえるが……
V・プレミアリーグ時代には目標だった日本一も達成した 【写真:アフロスポーツ】
「『日本一になりたい』って。その目標をかなえるために、東レへ行こうと決めました」
入団直後の2011/12シーズン終盤からチャンスをつかみ、レギュラーとしてコートに立ち、夢だった日本一は現実になった。一度勝てばもう一度勝ちたい、とさらに目標が高くなるのも自然な流れではあったが、1年、また1年と時間が過ぎるたび、別の思いを抱くようにもなったと言う。
「せっかく全日本に選んでもらっても、直前に捻挫をしてしまって、『ついてないな』とか『向いていないのかな』とマイナスに考えてしまうことのほうが増えたんです。そうなると自然にバレーボールが楽しいとは思えなくなって、このまま中途半端な気持ちでバレーボールをやるぐらいなら新しいことがしたい、と思うようになりました」
チームからは現役続行を勧められたが、在籍4シーズンでの引退を決意。バレーボール選手としての人生にはひとつ区切りをつけ、好きなものを食べ、選手の頃は経験することのなかった飲み会にも顔を出す。OL生活を満喫し、毎日を楽しく過ごしていた。
ただいつしか、現役、OB、OG、アスリートならば胸を弾ませるはずの五輪の母国開催に、喜ぶどころか、複雑な思いを抱いている自分がいた。
「日本選手を素直な気持ちで応援できるかな、って考えた時、自分の中で『(五輪を)見たくもない』って思っちゃったんです。出る方ならいいけれど、見るのはきつい。でもそんなふうに思うということは、まだ私やりたいんだな、やりきっていなかったんだな、って気付いたんです」
ビーチバレー選手になって訪れた変化
最初は軽い気持ちで始めたが、次第にビーチバレーの魅力に引き込まれていった 【Getty Images】
所属先の東レエンジニアリングが後押ししてくれたこともあり、16年夏頃から本格的にビーチバレー選手として始動し、同じく元インドア選手でV・プレミアリーグのNECレッドロケッツで活躍した長谷川暁子とペアを組み国内外のツアーやカップ戦に出場。17年8月のビーチバレージャパンを制するなど、ビーチバレー選手としての高い可能性を感じさせるスタートを切った。
たった1年で変わったのは肌や髪の色だけでない。
「体重は4キロ増えました。体力を使うので筋力がないとできないし、そのためには日々の食事はもちろん、サプリメントも必要なものを自分で選んで摂取する。もう全然違いますよね。だってインドアの頃はトレーナーさんから『はい、これ飲んで』と渡されるものを何も考えずに飲んでいただけでしたから。海外へ行く飛行機、ホテルの手配も車の運転も、掛かったお金の精算も全部自分たちでやって、なおかつ2人で戦術も考えないといけない。何もしなくても、勝手にたくましくなりますね(笑)」
葉山の海から、いざ、世界へ――
「強いチームと戦って、たとえ負けても『これぐらいの差があるんだ』と今は分かる。ビーチバレーを始めた頃はどこまでできるか分からなかったし、全部が探り探りだったから、差が分かるだけでもすごく大きな進歩だと思うんです。だから来年は、この大会はここまで勝たなきゃ、とか、ここでポイントを取らなきゃ、ともっともっと明確になる。目標は、東京五輪に出ることではなく、表彰台に自分たちが立つこと。こんなに面白いビーチバレーボールという競技を、たくさんの人に知ってもらって、メジャーな競技にしたいです」
2対2で戦うビーチバレーは、体力勝負だけでなく、細かな駆け引きが繰り広げられる心理戦でもある。試合後の疲労はインドアの頃と比べられないぐらいに大きいが、疲れた体と心を癒してくれるのが慣れ親しんだ海や山、故郷の風景だ。
「日本のどこにいても、海外にいても、いつだって葉山は私にとって“帰る”場所。癒されて、リラックスできる場所があるから、また頑張ろう、って思えるんですよね」
葉山の海から、いざ、世界へ――。新しい挑戦はまだ、始まったばかりだ。