連載:未来に輝け! ニッポンのアスリートたち
京都が育んだ女子プロテニスプレーヤー加藤未唯、五輪へ世界へ「限界までやる」
地元で知られたポニーテールのテニス少女
海外ツアーで戦う女子プロテニスプレーヤーの加藤未唯。彼女が生まれ育ったのは、伝統と革新・創造の街「京都」だ 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】
長い髪を一つにまとめたポニーテールと、フリルのついたフェミニンなウエアがトレードマーク。その小柄で愛らしい少女が、ひとたび試合が始まるや髪を振り乱し、フリルをはためかせ駆け回ると、腕が吹っ飛びそうな勢いでラケットを振り上げ、飛び上がりボールをたたいた。派手な動きといでたちは、とかく見る者の目を引く。
「初めて彼女のテニスを見た時は衝撃を受けましたよ。小柄な日本人のジュニアが、あんなにダイナミックなプレーをするなんて」
高校時代の彼女を見たテニス関係者は、当時をそう回想した。
「それで驚く方が、こっちにしてみれば不思議な話や」
加藤が9歳から18歳まで通ったスクール“パブリックテニス宝ヶ池”の石井知信コーチは、そんな周囲の評価に、むしろすっとんきょうな声を上げる。
「日本のコーチは、なんでも型にハメようとしすぎる。どんな打ち方でも、最終的にはラケットがどうボールに当たるかで飛び方は決まるんやから」
そのような、本人いわく「当然」の、だが相対的に見ればユニークな指導理念を持つコーチは、初めてスクールを訪れた9歳の女の子を見た瞬間、「この子はやる子や。つぶしたらアカン」と直感したという。あいさつをする母親の横で、無関心を装いながらも自分をアピールするようにラケットを振る姿は、型にはまらず、なおかつサマになっている。
「この子は、放っといても行くところまで行く。自分の役目は、環境を与えてやることや」
そう思った石井は、練習中に細かく指示を出すことなく、終わった後に気が付いたことを助言していった。
輝いた2017年
スクールのコーチや一般会員の方たちは加藤の顔を見つけると、「ここの机でよく勉強していたのよ」「レベルの上手い下手に関わらず、誰とでもコミュニケーションを取る子でした」と振り返る。子どもの頃の姿を、多くの人が覚えている 【スポーツナビ】
だが彼女は、ジュニア最後の年に手にした“日本一”のタイトルよりも、14〜15歳の頃に年長者を破り達したベスト4などの方が、うれしかったと述懐する。相手が強いほど燃える反骨精神は、一般的な京都人のイメージとは矛盾するかもしれないが、実はこの町の気質と重なるものだ。やや余談になるが、加藤の実家は160年以上続く造園業。家を出入りする職人や、「あそこのお寺さんは……」などと電話で話す父を見て育った彼女には、古都に脈動する“伝統とは革新・創造の連続である”の精神が、自然と植え付けられたのかもしれない。
同期選手の多くが、通信制の高校を選び実質的にはプロに近い生活を送るなか、地元の高校に通い大学進学も視野に入れていた加藤は、19歳の誕生日目前にプロ転向する。本人いわく「完全に出遅れた」状況ながら、まずはダブルスで成績を伸ばし、昨年はグランドスラムに出場。今季はシングルスでも、9月に東京で開催されたジャパン女子オープンで、予選から勝ち上がり準優勝の大躍進を見せた。またダブルスでは、ジュニア時代からのパートナーである穂積絵莉(橋本総業)と組み、全豪オープンでベスト4に進出。日本人ペアのグランドスラムベスト4は15年ぶりということもあり、一躍、東京五輪のメダル候補として注目を集めた。