フェンシング敷根「五輪の金が取りたい」 世界選手権銅、世界ジュニア二冠の19歳

田中夕子

フェンシング男子フルーレの敷根崇裕。世界ジュニアでは日本人初の二冠、今夏の世界選手権では銅メダルを獲得した期待の19歳だ 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 フェンシングの歴史が変わる。

 12月7日から10日まで東京・駒沢体育館で開催されるフェンシング全日本選手権。今年で70回目という長い歴史を誇る大会。これまでは男女のエペ、サーブル、フルーレと種目別に予選、決勝が日を追って行われていたが、太田雄貴氏が日本フェンシング協会会長に就任した今季からは「見せる」競技として変貌を遂げた。大会最終日の10日に男女エペ、フルーレ、サーブルとすべての種目で決勝が行われる。

 つまり、その日、会場にいればすべての種目で全日本チャンピオンが決まる瞬間が見られる、ということ。関係者だけではなく、初めてフェンシングを見るという人にとっても大いに楽しむことができるであろう全日本選手権。2020年の東京五輪に向けても見どころはいくつもあるが、やはり中心になるのは、太田氏が日本人選手として初めて五輪でメダルを獲得し、世界ランキング1位になり、世界選手権を制した男子フルーレだ。

 10代から世界で戦い、輝かしい成果を残す選手が多くそろうフェンシング男子フルーレにおいて、16年の世界ジュニアで日本人として史上初めて団体、個人で金メダルを獲得した敷根崇裕(法政大)。太田氏にもできなかった快挙を達成し、今年度の世界選手権では銅メダルを獲得した。今回の全日本はケガのため欠場となったが、ライバルたちと切磋琢磨(せっさたくま)する19歳に話を聞いた。(取材日:11月7日)

父、母、兄も……フェンシング一家で育った少年時代

競技を始めたのは家族の影響。遊びの延長でスタートした 【スポーツナビ】

 太田雄貴が日本人選手として初めて、北京五輪で銀メダルを獲得し、彼自身も日本のフェンシング界も大きな一歩を踏み出した08年8月13日。当時10歳だった敷根少年は、フェンシング選手だった両親と兄の影響で競技を始めてはいたものの、五輪などまだまだ遠すぎる目標だった。しかしこの快挙が、少しだけ視野を変えるきっかけになった。

「正直に言うと、オリンピックも、メダルもよく分からなかったんです。でもお母さんから『太田選手がメダルを取ったんだから、あなたも頑張りなさい』と言われて、『じゃあ、俺が金メダルを取るよ』って。たぶん、その時に初めてオリンピックを意識しました」

 それまでは父・裕一氏が指導する高校で、兄と一緒に遊びの延長でフェンシングを楽しんできた。競技者として本腰を入れ始めた小学校中学年のころには、全国大会にも出場。現在は日本代表の強化本部長も務める父とは「指導者」と「選手」と一線を引くのではなく、ごく普通に「父」と「息子」としてフェンシングに明け暮れた。

「コーチと選手という立場だったら、何もものを言えなかったかもしれないですけど、あくまで僕は『お父さんにフェンシングを教えてもらっている』という感覚だったので、これは違うと思うことがあればその都度言ったし、反発することもありました。でも、その距離感のおかげで、深く分かり合えたのかな、という気がします」

 不満があるとしたら、1つだけ。

「食事の時にも、あれがダメだ、これがダメだった、とフェンシングの話をされるんです。そうなると全くご飯がおいしくないので(笑)、食事の時だけはフェンシングの話はやめてくれ、というルールを決めました」

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著者プロフィール

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、『月刊トレーニングジャーナル』編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に『高校バレーは頭脳が9割』(日本文化出版)。共著に『海と、がれきと、ボールと、絆』(講談社)、『青春サプリ』(ポプラ社)。『SAORI』(日本文化出版)、『夢を泳ぐ』(徳間書店)、『絆があれば何度でもやり直せる』(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した『当たり前の積み重ねが本物になる』『凡事徹底 前橋育英高校野球部で教え続けていること』(カンゼン)などで構成を担当

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