フェンシング敷根「五輪の金が取りたい」 世界選手権銅、世界ジュニア二冠の19歳
独特のスタイルで力発揮 ライバルとの出会い
先輩で現在は日本フェンシング協会会長の太田雄貴(中央)、ライバルであり親しい仲間でもある松山恭助(右)とともに、笑顔を見せる敷根。写真は2015年高円宮杯団体戦 【写真:アフロスポーツ】
そのオリジナルスタイルで、大会に出れば負け知らずだった小学生のころ、初めて「ライバル」と思える存在と出会う。5年生の時に出場した全国大会高学年の部で完敗を喫した相手、それが現在は日本代表として共に戦う松山恭助(早稲田大)だった。
「なかなか自分の思い通りにポイントを取らせてもらえないんです。『なんなんだこの人は』と思ったし、初めて『強いな』と思ったのが恭ちゃんでした」
ピストを離れれば、1つ上の松山はライバルではなく「恭ちゃん」と呼ぶ、親しい仲間。だが、彼の存在は敷根にとって常に大きな目標であり、越えなければならない壁でもあった。フェンシングを始めたころはただ「楽しい」と感じるだけだったが、徐々に「勝ちたい」と思うようになり、日本でもトップに立ちたい、世界でもトップに立ちたい。ガムシャラに走り続けた結果、16年の世界ジュニアでの快挙へとつながった。
五輪“観戦”で感じた「ホームの応援、雰囲気」のパワー
あと一歩のところでリオデジャネイロ五輪の出場はならず。現地で“観戦”した大舞台には、独特の空気が漂っていた 【スポーツナビ】
最終的には惜しくもわずかなポイント差が及ばず、リオデジャネイロ五輪への出場は絶たれたが、「雰囲気だけでも味わいたい」と現地へ飛び、フェンシングの全種目を観戦。それまでは五輪はおろか、自分以外の選手の試合を見ることすらあまり興味がなかった、という敷根だが、初めて生で見た五輪に別の刺激を与えられた。
「太田さんと初戦で戦ったブラジルの選手は、普通にやれば太田さんが負けるような相手じゃないんです。でもホームの応援とか、雰囲気とか、独特の空気があって、やっぱり現地パワーは大きいんだな、と。東京では、僕がそのパワーをもらえるようになりたい、と思いました」
掲げる目標、挙げた課題
課題はあるも「その壁を破らないと上には上がれない」とキッパリ。多くのライバル達と切磋琢磨し、五輪の金メダルを目指す 【スポーツナビ】
「周りの目を意識してしまって、『こんなところで負けられない』と緊張してしまうんです。でもその壁を破らないと上には上がれないので、今は練習から『確実に勝てる』と自信を持って戦えるようになることが大切だと思うので、もっと努力して、東京オリンピックまでの3年、全日本選手権は全部、僕が優勝したいです」
現在男子フルーレのキャプテンも務める松山、そして世界選手権では銀メダルを獲得した西藤俊哉(法政大)などジュニア時代から国際大会で活躍し、シニアでも成長著しい同世代のライバルと共に、目指す世界――。
「W杯でも金メダルを取りたいし、銅メダルだった世界選手権でも金メダルを取りたい。オリンピックまでに金メダルを1つではなく、いくつも取って、東京(五輪)では日本人選手と決勝で対戦したい。そして、ただ立つだけじゃなくオリンピックの金メダルが取りたいです」
目を輝かせながら語る、これからの未来。きっと、その行く末は明るいものになる。