太田雄貴が残した価値ある功績 フェンシングの地位を高めた男の引退

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まさかの初戦敗退「覚悟が弱かった」

日本フェンシング界初の金メダル獲得を目指した太田だが、地元ブラジル選手相手にまさかの初戦敗退を喫した 【写真:ロイター/アフロ】

 その幕切れは実にあっけなく訪れた。リオデジャネイロ五輪で、日本フェンシング界初の金メダル獲得を目指していた男子フルーレの太田雄貴(森永製菓)が、初戦となる2回戦でまさかの敗退を喫した。試合後、太田はすっきりした表情で、現役から退く意向を表明した。

「相手の勢いどうこうよりも、自分ですね。全部、僕のミスだと思っています」

 対戦相手は開催国ブラジルのギレルミ・トウド。序盤から先手を許す展開が続き、トウドがポイントを取るたびに、大歓声が巻き起こった。初戦ということもあり、「緊張した」という太田は、なかなかペースをつかめず徐々に追い込まれていく。終盤には13−12と逆転したものの、そこから3ポイントを連取され、相手に金星を献上してしまった。トウドに対して「苦手意識はなかった」という太田。ただ、心の隙が五輪という大舞台で出てしまった。

「完全にこちらの落ち度ですね。トウドが初戦で勝ったオーストリアの選手のことは研究してきたんですけど、トウドに関しては研究面で浅かったというのは正直あります」

 それでも太田の表情は晴れやかだった。

「本当に支えてくれたすべての人に申し訳ない気持ちでいっぱいなんですけど、これで未練なく現役を退けるかなと。たぶん今回は僕の中で五輪に対する覚悟というのが、ロンドンや北京のときと比べて弱かった気がしています。やっぱり五輪は特別な場所。金メダルを取りに行っている人しか取れない。僕はその覚悟が弱かったんじゃないかと思っています」

新しい自分と出会った競技復帰後

オレグコーチ(右)とともに、数々の歴史を築いてきた太田が試合後、引退を表明。その功績は確かに次世代の選手たちに引き継がれていくだろう 【写真:ロイター/アフロ】

 北京五輪ではフルーレ個人で、ロンドン五輪ではフルーレ団体でいずれも日本フェンシング界初の銀メダルを獲得。太田の存在もあり、フェンシングは日本のスポーツ界における地位を確実に高めた。また太田の活躍は競技だけにとどまらず、2013年にはプレゼンターとしてIOC(国際オリンピック委員会)総会でスピーチを行い、東京五輪招致に貢献した。

 ロンドン五輪後に一時、競技から離れたものの、再び剣を握る決意を固めた太田は、新たな自分と出会うことになる。これまでは、勝つために自分がすべきことを一番に考えてきた。しかし、昨年からは勝ち負けよりも、自分の理想とするフェンシングのスタイルを追い求めるようになる。「フェンシングがうまくなりたい」。その一心でトレーニングに取り組んでいくと、数学を解くような感覚でこのスポーツの奥深さが分かってきた。そうした過程で取れたのが世界選手権での金メダルだった。これも日本人初の快挙である。

 また太田にとって、若手の存在も刺激となった。今年4月の世界ジュニア選手権ではフルーレ個人で敷根崇裕(法政大)が優勝。松山恭助(早稲田大)も3位に入った。さらにはフルーレ団体でも頂点に立つなど、若年層の台頭が著しい。彼らと剣を交えることで、優秀な選手が育っていることを実感し、このホープたちをさらに強くしたいと感じた。

「彼らと一緒にいることで自分の置かれている立場も変わりましたし、彼らに対してお手本となる先輩でいることが必要だと思っています。今の若手は技術もスピードも持っている。彼らになくて僕にあるものはメンタリティーであったり、日本人が持っている精神性の部分だけだと思うので、そうしたことを僕は伝えていきたいと思っています」

金メダルの夢は次世代に

 本来であれば、このリオ五輪で金メダルを獲得して、後進に引き継ぐことを考えていた。ただ、その思いは予期せぬ敗戦によってかなわなかった。金メダルの夢は彼らに託す。「こうして最後にずっこけて負けるあたりが僕らしいなと思います」と笑った太田だが、日本のフェンシング界に残した功績は計り知れない。五輪や世界選手権での結果ももちろんだが、何よりフェンシングの選手としてさまざまな可能性を示したことに価値がある。体格的に劣る日本人でも五輪でメダルを取れるし、競技以外の分野でも活躍できる――。そうした道筋をつけたことは次世代の選手たちにとって大きな指標となるはずだ。

 太田は引退後のプランをこう語った。

「スポーツ選手が引退したあとに残る選択肢が日本には少ない気がしていて、コーチになるとか、スポーツ関連の仕事をするというのが多いですよね。そうした中で、僕はまったく違うことをやるという選択肢を増やせるような役割を担っていければと思っているので、世の中の人を違う場面で驚かすことができればなと考えています」

 新たな道へ進む太田にとって、自身の競技生活はどんなものだったのか。

「いやぁ、良かったですよ。フェンシングがなければ僕の今の友達や先輩、後輩なんかとは99パーセント以上は知り合えなかった。4回も五輪に出場できたことがうれしいし、本当に感謝しかないですね」

 かつて、現在の所属先である森永製菓への入社が決まったときに大粒の涙を流した男は、一抹の寂しさも見せず、実にあっけらかんと戦いの舞台から去っていった。

(取材・文:大橋護良/スポーツナビ)
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