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大塚製薬が四国初のJクラブになるまで
J2・J3漫遊記 徳島ヴォルティス<前編>

ホームで敗れるも、上位争いを続ける徳島

ホームで敗れて肩を落とす徳島の選手たち。今季は最終節までプレーオフ争いを続けた
ホームで敗れて肩を落とす徳島の選手たち。今季は最終節までプレーオフ争いを続けた【宇都宮徹壱】

 台風22号の影響なのだろう、雨は次第に激しさを増していく。それでもピッチ内の選手たちの動きが鈍る様子は微塵(みじん)もない。それは、ゴール裏のサポーターたちもまた同様である。時おり聞こえる「カカンカンカン!」という金属音は、鉦(かね)と呼ばれる打楽器で、阿波おどりのリズムには欠かせないアイテムだ。そう、私は今回、徳島ヴォルティスのホームゲームに来ている。取材したのは、10月28日に行われたJ2リーグ第39節。この時点でJ1昇格プレーオフ圏内の6位につけている徳島は、12位の水戸ホーリーホックを鳴門・大塚スポーツパークポカリスエットスタジアムに迎えていた。


 前節終了時点で、2位のアビスパ福岡(勝ち点68)から10位のジェフユナイテッド千葉(同58)まで勝ち点12差という、混戦展開が続く今季のJ2。ホームゲームがこの日を含めて2試合ということを考えると、徳島としては絶対に落とせないゲームであった。先制したのは徳島。前半33分、内田裕斗の左サイドからのクロスがそのままゴールに吸い込まれ、スタンドが歓喜に沸く。しかし、喜びは長くは続かない。先制から8分後、水戸の橋本晃司にミドルシュートを決められ、前半は1−1で終了。


 今季から指揮を執る、スペイン人のリカルド・ロドリゲス監督の指導により、徳島のサッカーはポゼッションに軸足を置いたスタイルに変ぼうした。実際、この試合でも7割近くもボールを保持し続けたものの、なかなか追加点が奪えない。そうこうしているうちに後半27分、コーナーキックのチャンスから混戦となったところを林陵平に押し込まれ、水戸に逆転を許してしまう。さらに41分には、外山凌にも決められて2点差に。このまま終わるわけにはいかない徳島は、45+1分に途中出場の島屋八徳が1点を返すが、反撃もここまで。徳島にとっては、ホームで手痛い敗戦を喫することとなってしまった。


 試合後、ゴール裏にあいさつに向かう選手たちに、サポーターから「まだ終わってないぞ!」という声が発せられる。13年のプレーオフを制してクラブ史上初(そして四国勢としても初)のJ1昇格を経験している徳島。そんな彼らにとり、わずか1シーズンで転がり落ちたトップリーグの舞台に再び駆け上るのは、まさに悲願であった。そしてロドリゲス体制となって1年目の今季、徳島は今も上位争いをキープしている。翌29日には、7位の松本山雅FCが勝利したことで、いったんはプレーオフ圏内から後退した徳島だが、昇格を懸けた熱い戦いは最終節まで続くことになりそうだ。

「徳島にもJクラブを!」という94年のムーブメント

海と川に囲まれた徳島市。23年前、この街に「徳島にもJクラブを!」という機運が高まった
海と川に囲まれた徳島市。23年前、この街に「徳島にもJクラブを!」という機運が高まった【宇都宮徹壱】

 さて今回、徳島の地を訪れることにしたのは、クラブの知られざる前史を訪ね歩くためである。クラブの前身は、1955年に創設された大塚製薬サッカー部。徳島県鳴門市をルーツとする大塚製薬は、今でこそ本社は東京にあるが、徳島市に本部と研究所が置かれており、地元経済に大きな影響力を持ち続けている。2005年にJクラブとなって以降も、胸スポンサーやスタジアムのネーミングライツは『ポカリスエット』となっており、かつての親会社の痕跡はそこかしこに見て取れる。


「大塚製薬サッカー部に転機が訪れたのは、88年のことです。当時の大塚明彦社長が『ウチが世界に打って出るために、ワールドワイドなスポーツに力を入れたい』ということで、そのころは県リーグでウロチョロしていた同好会クラブを強化することになったんです。日産自動車から山出(邦男)監督、石井(肇)コーチを引っ張ってきたら効果はてきめん。その年は県リーグ優勝、89年も四国リーグ優勝、そして3年目の90年(90/91シーズン)にはJSL(日本サッカーリーグ)2部に上り詰めました」


 そう語るのは、当時サッカー部の部長だった小賀正條、82歳である。防衛大学校の1期生で、海上自衛隊のパイロット出身という異色すぎるキャリアの持ち主。定年間近の89年に54歳で除隊すると、縁あって大塚製薬に就職するのだが、そこで明彦社長から命じられたのが、サッカー部の部長への就任であった。「私はサッカーなんて、まるで知りません」と困惑する小賀に対し、3代目社長は「勝負の厳しさを知っているのは、自衛隊出身のお前だけだ」と諭したという。


 やがて93年にJリーグが開幕。この時、大塚製薬は2部に相当する旧JFL(ジャパン・フットボールリーグ)に所属していた。翌94年には、それまで同じカテゴリーで戦っていたヤマハやフジタが、ジュビロ磐田やベルマーレ平塚となって、全国から注目を集めるようになる。「徳島にもJクラブを!」という機運が高まったのは、そうした時代の熱気が多分に作用していた。では、果たして実現性はどこまであったのか。再び、小賀。


「実は大塚製薬と県と石井町との間で、具体的な話が進んでいたんです。大塚製薬がチームを差し出す、県が受け皿となる新会社を作る、そして石井町はスタジアムの建設地を提供する。この年(94年)の3月には、三者の実印の入った覚書も交わしているんですね。サポーターも熱心に署名活動をしてくれましたし、地元メディアでもたびたび報じてくれました。私自身、Jリーグ入りは間違いないと思っていたんですが」

宇都宮徹壱
宇都宮徹壱
1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著はスポーツナビでの連載をまとめた『J2&J3 フットボール漫遊記』(東邦出版)

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