1997年 ジョホールバルとJの危機<後編> シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」

宇都宮徹壱

Jをめぐるマガジンとダイジェストのスタンスの違い

97年のJリーグ開幕特集号。誌面からある種の“危機感”がひしひしと伝わってくる 【宇都宮徹壱】

 今からちょうど20年前、1997年のサッカー専門誌を読み返してみると、マガジンもダイジェストも、誌面からある種の危機感がひしひしと伝わってくる。当時の日本サッカー界の懸念は大きく2つ。まず、日本代表の加茂周監督の指導力に関するもの。そして開幕から5年目を迎えたJリーグの人気低迷。4月23日号のダイジェストに掲載された「開幕直前総力特集 5年目の激動」からリード文を引用しよう。

〈4月12日、いよいよリーグ戦の幕が開く。神戸を加え、17チームとなったJリーグ。各チームとも大幅に戦力を補強、覇権を巡る戦いはさらに激化する。観客動員や視聴率の低下など、何かと危機が囁かれるJリーグ。だが、決して面白くなくなったわけじゃない。それどころか見所は増えている。5年目の激動に胸を焦がす時が来た!〉

「決して面白くなくなったわけじゃない」とか「5年目の激動に胸を焦がす時が来た!」といった表現は、むしろ当時のJリーグをめぐる状況の厳しさを物語っていると言えよう。誌面のコピーを見せると、当時の編集長だった六川は「まあ、苦し紛れだったよね」と苦笑しながら、当時のJリーグを取り巻く状況をこう回想する。

「Jリーグバブルが弾けて、人気が下り坂に入っているのは明らかでした。96年は日本がアトランタ五輪に出場して、前園(真聖)や中田(英寿)が活躍したけれど、あまりその効果がJリーグ人気には結びつかなかったですね。リーグもクラブも、どうやったらお客さんを呼べるのか必死だったと思う。横浜フリューゲルスなんか、バンダイがスポンサーだったから、当時流行っていた『たまごっち』を観客に抽選でプレゼントしていました。僕も子供に頼まれて、フリューゲルス経由で手に入れた記憶があります(笑)」

 一方でこの年のJリーグは、ルーキーを含む若手選手の台頭が顕著であった。マガジンの5月14日号に掲載された「恐るべき子供たちは21世紀の宝だ」では、将来の日本代表を担う逸材として、稲本潤一、中村俊輔、柳沢敦、山口智、奥大介、小島宏美、西澤明訓が紹介されている。20年後の今から見ても、非常に興味深いラインナップだ。しかし当時の副編集長だった伊東は「あまり記憶にないですねえ」とにべもない。

「この頃になると、僕はもう代表専属みたいな感じだったんですよ。特に(W杯アジア)最終予選が始まると、ジョホールバルまでずっと代表に密着していましたから。97年という年は、われわれの意識も世の中の関心も、完全にW杯に向いていましたね」

「ジョホールバルの歓喜」の向こう側で

ダイジェストの編集長を務めた六川。ジョホールバルの後は「増刊号を3冊も出した」という 【宇都宮徹壱】

 ここで、97年のJリーグのレギュレーションと日程を振り返っておこう。当時はまだ1リーグ制でチーム数が17。トップリーグのチーム数が奇数となったのは、後にも先にもこのシーズンのみである。そしてシーズンの開幕は4月12日で、最終節は10月4日。CS(チャンピオンシップ)は12月6日と13日に開催された。レギュラーシーズンが10月初旬で終わるのも、97年が最初で最後である。

 なぜ、このようないびつな日程になったのか? それは当初、この年の11月にW杯アジア最終予選がセントラル方式で行われることになっていたからだ。ところがFIFA(国際サッカー連盟)は7月21日の総会で、アジア最終予選をセントラル方式からホーム&アウェー方式に変更することを発表する。Jリーグには、まさに寝耳に水。結果として、セカンドステージのJリーグは、代表選手抜きで臨むことになった。六川は語る。

「入場者数の影響? もちろんあったでしょう。でも当時の日本は、2002年のW杯ホスト国に決まっていたから、98年のフランス大会は何が何でも出場しなければならないという空気が、日本サッカー界全体にありましたよね」

 結果として、Jリーグと最終予選の日程が被ってしまったことで、サッカーファンの注目もJリーグではなく日本代表の戦いに集まるようになる。当然、専門誌の扱いもW杯予選が主になり、国内リーグは従にならざるを得なかった。ただしマガジンとダイジェストとでは、Jリーグの扱いに微妙な違いが見て取れる。たとえば10月15日号。この週のトピックスは、国立で日本が韓国に逆転負けを喫した試合のレポートがメーン。一方、Jリーグの扱いはダイジェストが6ページだったのに対し、マガジンは倍の12ページを割いている。ここに「国内リーグを大事にする」という、マガジンのポリシーが強く感じられる。

「ジョホールバルの歓喜」直後の両誌の対応もまた、実に対照的であった。ダイジェストはW杯初出場記念増刊号を増刷。六川いわく「普通、増刊号の増刷なんてあり得ないんですが、最終的に20万部くらいは売れたと思います。しかもジョホールバルだけで、増刊号を3冊も出しましたから(笑)」。一方のマガジンも、イランとの死闘を伝えた12月3日号は発売当日に完売し、「幻の号」と呼ばれている。しかし続く12月10日号は、CSで対戦するジュビロ磐田の中山雅史と鹿島アントラーズの秋田豊が表紙になっていた。その理由を伊東はこう語る。

「この号と次の号で、『118分間の真実』という岡田(武史)さんの独占手記を計9ページ掲載したんです。今だったら、そっちを表紙にすると思うんですけれど(笑)、あえてJリーグの中山と秋田ですよ。確かにジョホールバルで(W杯初出場を)決めたけれど、やっぱり国内リーグも大切だよね、という。そこがやはり『マガジンらしさ』だと思いますね」

1/2ページ

著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント