イングランド戦で見せた00ジャパンの原点 “森山イズム”を体現するも、無念の終戦

川端暁彦

森山監督が乗り出した“意識改革”

U−17W杯ラウンド16でイングランドに敗れ、世界中を巡ったU−17日本代表の2年半の旅路は終わりを告げた 【佐藤博之】

 アジア全域、南北アメリカ、欧州、そしてアフリカまで、世界中を巡った2年半の旅路はインドで行われたU−17ワールドカップ(W杯)ラウンド16で、PK戦の末にイングランドに敗れ、終わりを告げることとなった。スタートは2015年2月、堺と横浜の東西に分かれて行った候補合宿。そこから選抜した選手で臨んだ3月の日本・中央アジアU−15交流大会ではイランに敗れてアフガニスタンにドロー。4月にはバルセロナから帰国したFW久保建英も加わって行った初めての海外遠征でインドネシアに苦杯をなめた。

 劣勢の状況でも、どんなピッチ状態でも、相手がどう守っていようと同じようにプレーしようとし、リスクを冒すことを嫌い、肝心のゴール前では実に淡泊な選手たちを見て、森山佳郎監督が出した結論は「このままではアジアでも絶対に勝てない」。日本のエリート選手たちにはフットボーラーとしての根本的な部分が欠けていると見なし、その意識改革に乗り出した。

 集まるたびにまず対人練習をこなし、相手のミスを“待つ”ような姿勢が顕著だった選手たちに、国際試合の流儀と言うべき、ボールを“奪う”姿勢を持つ重要性を説いた。特にこだわったのはゴール前の攻防における個人戦術ならぬ“個人戦闘力”。しばしば取り入れた3対3の練習では、ゴール前でシュートに行く相手を見送ったDFがいれば、「やり直し」を命じてスライディングで最後に必ず体を張る姿勢を徹底した。当初は「崩されたら仕方ない」とでも言いたげだった選手たちの意識は徐々に変わり、いつしか「言われずとも勝手に体が動くようになった」(DF菅原由勢=名古屋U−18)。

 絶対的な運動量と攻守の切り替えスピード、リスクにチャレンジしていくプレーも要求し続けた。ユース年代を長く指導してきた自身の経験から、過去に“うまさ”で他を圧しながらも、大成することなく消えていった選手たちの話もし、選手たちの価値観を揺さぶりながら、変革を迫った。MF平川怜(FC東京U−18)やFW宮代大聖(川崎U−18)といった世代を代表する“うまい”選手たちを、時には容赦なくメンバーから外し、足りないモノを突き付けた。この要求に応えた選手たちがチームに生き残り、U−17W杯まで続くコアメンバーを形成することになる。

 これこそ、2000年以降に生まれた選手たちで構成される“00ジャパン”の原点だ。

GSでは見せられなかった“らしい”戦い方

上月(右)はグループステージのフランス戦を「アンパイなプレーばかりを選んでいた」と振り返った 【佐藤博之】

 このベースの上に少しずつチームとしての戦い方を乗せながら幅を広げ、特に今年に入ってからはポゼッションで相手を押し込んでいく形の習熟に努めた。戦術的な練度とともに技術的な精度を追求し、「相手のカウンターを受けないボール回し」(森山監督)にも注力してきた。ただ、ここには落とし穴もあった。

「いつの間にか、チームの原点の部分が薄れてしまっていた」(森山監督)

 それを露呈したのがグループステージの第2、3戦だった。6−1の完勝で終えたホンジュラスとの第1戦から臨んだフランス戦。日本は真っ向勝負を挑んだが、相手の“日本対策”に苦しみ、続くニューカレドニア戦では控え組が多く、試合に出る中でチームとしての強みが何も見えない試合をしてしまった。

 カウンターを受けないようなボール回しは、ともするとリスクを避けるだけのプレーである。「フランス戦は安全なプレーばかりを選んでいた」とMF上月壮一郎(京都U−18)が振り返ったとおり、小気味よく、攻守でチャレンジするというチームとしての“らしさ”を見失っていた。その意味でいえば、10月17日(現地時間)に行われた、ラウンド16のイングランド戦は、チームとしてのラストゲームにして、原点への回帰を果たす、そんな一戦となった。

「グループステージは自分たちらしいサッカーがあまりできなかったし、戦う部分も出せなかった。イングランド戦では、みんなでもう一度原点に戻って『泥臭く勝ちにいこう』と話していた」(MF福岡慎平=京都U−18)

 今大会のイングランドは紛れもなく、大会最強クラスのチームだった。「個人能力を1+1で合わせていけば、大会で一番」(森山監督)の相手である。ドルトムントの新星、FWジェイドン・サンチョがこの試合を前にしてチームを去ったとはいえ、「ネクスト・アザール」と評されるMF・ハドソンオドイ(チェルシー)と、ジョゼップ・グアルディオラ監督から才能を高く評価される、MFフィル・フォーデン(マンチェスター・シティ)を両翼に配する強力な布陣は、その不在を感じさせないもの。世界大会という最高の舞台で最高の相手を迎えたわけだが、日本の士気は高く、ゲームプランも明瞭だった。

「監督が体に乗り移っているみたいだった」(菅原)

前半、イングランドの攻勢を体を張って守り耐えしのいだ日本。菅原は「監督が体に乗り移っているようだった」と発言 【佐藤博之】

 フランスを相手にも主導権を握りにいったのがグループステージの戦いだったが、この試合で日本が目指したのは、より戦略的な試合運びである。相手との戦力差も冷静に見極めつつ、まずは守備から入る。ブロックを敷いて相手の攻撃を受け止めながら、反撃を狙って粘り強く戦う。「ボクシングで言えばクリンチしながら(耐えて)、じわじわとこちらにペースを持ってくるというプラン」(森山監督)である。

 個々の強さが抜きん出ているイングランドにも弱みはあって、それは彼らが非常に真面目で頑張るチームに過ぎるということだ。攻撃的な選手が献身的なスプリントをいとわず、堂々と戦い抜くスタイルを90分間にわたって貫こうとしてくる。尊敬に値すべき態度だが、酷暑のインドでそれを貫くのは現実的ではない。鋭い縦パスから加速していく攻めは、実のところ一本調子になりがちでもある。グループステージでも、後半の半ばからパフォーマンスが落ちていく傾向は顕著だった。堅守を誇るチリやメキシコでさえも仕留めてしまう圧倒的な破壊力で覆い隠されていたその弱みこそ、日本の狙い目だった。

 前半の攻勢を耐えられなければ、まさに“絵に描いた餅”というべき作戦なのだが、日本イレブンは耐え切った。勘の良いカバーリングと1対1の強さを存分に見せ付けたセンターバックの菅原を筆頭に、ゴール付近では徹底して体を張ってイングランドの攻勢をしのぎ続ける。われわれ記者陣はイングランドのグループステージの戦いを見ていて、その最後まで体を張って守り抜く徹底ぶりに感心していたのだが、この日の日本はそれをも上回るほど、最後に相手がシュートを打つ場面で必ず「誰かがいた」。

「あれが“森山ジャパン”です。あれが監督から植え付けられているものなので(笑)。(危ない場所に)『戻らなきゃ』と考えてから戻るのではなく、無意識で戻るようになっている。森山監督が僕たちの体に乗り移っているみたいな感じでした」(菅原)

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著者プロフィール

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』をはじめ、『スポーツナビ』『サッカーキング』『フットボリスタ』『サッカークリニック』『GOAL』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。近著に『2050年W杯 日本代表優勝プラン』(ソル・メディア)がある

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