堂々とW杯行きを決めたスペイン代表 世代交代を実現し、本大会でも優勝候補に

1試合を残してグループ首位通過を決める

接戦になると見られていたが、スペインが1試合を残してW杯出場を決めた 【Getty Images】

 接戦になると見られていた数カ月前までの展望とは裏腹に、スペイン代表は1試合を残してワールドカップ(W杯)ロシア大会への出場を決めた。それも他のライバルに明らかな差を見せつけた上でのグループ首位通過だった。

 スペインは2008年から12年にかけて、2度のユーロ(欧州選手権)とW杯を連続で制した。だがその後は主力メンバーの多くが代表を後にし、オランダとチリに連敗してグループリーグ敗退に終わった14年のW杯ブラジル大会で黄金期の終えんを印象付けた。その後は世代交代に取り組んできたが、昨年のユーロ2016もイタリアに敗れて決勝トーナメント1回戦敗退に終わっている。

 今回のW杯予選では、くしくもそのイタリアがグループ最大のライバルとなった。欧州予選では各組1位のみに本大会の出場権利が与えられ、2位のチームは心臓に悪いプレーオフに回らなければならない。スペインと“アズーリ(イタリア代表の愛称)”の実力は拮抗(きっこう)していただけに、首位争いは最後までもつれ込み、ディティールが勝負を分けるものと思われた。

若手を組み込み、プレーコンセプトを維持

イスコ(22番)やアセンシオ(20番)ら若手を組み込みながらプレーコンセプトを維持してきた 【写真:ムツ・カワモリ/アフロ】

 しかし、実際は違った。スペインは14年のW杯と16年のユーロの結果を受け、先行きに不安を抱えていたにも関わらずである。しかもその間にはシャビ・エルナンデス、シャビ・アロンソ、フェルナンド・トーレス、ダビド・ビジャ、イケル・カシージャスといった重要な選手が代表を去っている。何より昨年のユーロ後には、故ルイス・アラゴネスの後を継ぎ、プレースタイルを継続しながらスムーズに若手を組み込んできたビセンテ・デルボスケ監督も退任した。

 デルボスケの退任が大きく響かなかったことは驚きだった。彼には周囲を落ち着かせ、スペイン独自のプレーコンセプトを選手たちに伝える力があったからだ。彼の退任と同時期には、29年間もスペインフットボール協会(RFEF)会長の座を独占してきたアンヘル・マリア・ビジャールの不正疑惑も表面化した。その後ビジャールはフットボール界での活動を禁止されただけでなく、保釈金を払うまで何日も刑務所暮らしを強いられることになった。

 このような状況下、チームはRFEF内の問題からは距離を置いてフットボールに集中してきただけでなく、過去10数年間保ってきた素晴らしいプレーコンセプトを維持することに努めてきた。

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著者プロフィール

アルゼンチン出身。1982年より記者として活動を始め、89年にブエノス・アイレス大学社会科学学部を卒業。99年には、バルセロナ大学でスポーツ社会学の博士号を取得した。著作に“El Negocio Del Futbol(フットボールビジネス)”、“Maradona - Rebelde Con Causa(マラドーナ、理由ある反抗)”、“El Deporte de Informar(情報伝達としてのスポーツ)”がある。ワールドカップは86年のメキシコ大会を皮切りに、以後すべての大会を取材。現在は、フリーのジャーナリストとして『スポーツナビ』のほか、独誌『キッカー』、アルゼンチン紙『ジョルナーダ』、デンマークのサッカー専門誌『ティップスブラーデット』、スウェーデン紙『アフトンブラーデット』、マドリーDPA(ドイツ通信社)、日本の『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿

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