高平慎士が担った「要石」としての役割 日本短距離界で異色の存在だった功労者

高野祐太

ラストランは全日本実業団の4継リレー

最後のレースとなった全日本実業団後、引退セレモニーで胴上げされる高平慎士 【写真は共同】

 2008年北京五輪の陸上男子400メートルリレーで銅メダル(※その後、ジャマイカ選手のドーピング使用が発覚し金メダルを剥奪されたため銀メダルに繰り上がりの見通し)を獲得し、日本陸上競技界に歴史的な快挙をもたらした高平慎士(富士通)が9月23日、現役最後のレースを走り終えた。

 ラストランに選んだのは、「お世話になった富士通のユニホームで走ることができる」全日本実業団対抗選手権(大阪・ヤンマースタジアム長居)。栄光の北京五輪と同じ、400メートルリレーの3走を走った。

引退セレモニーの後、家族との3ショットに収まる高平。「娘には東京五輪など、できるだけ本物の現場を見せたい」という育児方針を持っている 【高野 祐太】

 レース後、富士通のチームメートや関係者とひとしきりハグや握手やハイタッチをした後、高平は一人惜別の輪を離れ、しばらくの間、階段に座り込んでいた。顔をタオルで押さえて、あふれそうになる涙を必死にこらえていた。

「ああ、終わったな」

 高平は一人だけの時間を噛みしめ、それだけをぼんやりと思っていた。

若いチームをけん引したロンドン五輪

2012年ロンドン五輪では若いチームをけん引し、5位入賞となった 【写真:Enrico Calderoni/アフロスポーツ】

 さん然と輝く男子短距離界のスターにして、高平は少し異色の存在だったかもしれない。スーパーエースとして君臨した朝原宣治が北京五輪を最後に引退した後、日本代表をけん引し、伝統を次世代につないだ立役者が高平だった。12年ロンドン五輪で初代表の若きメンバー(江里口匡史、山縣亮太、飯塚翔太)を鼓舞して5位入賞(のちに上位国のドーピング違反により4位に繰り上がり)。そのときの経験を糧に、高平が退いた16年リオ五輪で銀メダルは生まれた。

 日本の男子短距離界の歴史を紡いだ「高平慎士というスプリンター」の在り方。そこには、朝原とも、03年世界選手権200メートルで銅メダルを獲得した末續慎吾や100メートルで9秒台を目指した塚原直貴とも異なるものがあった。

 リオ五輪銀メダルの原動力の一つに、伝統のアンダーハンドパスにオーバーハンドの利点を融合させた新型バトンパスがあった。それは日本陸上競技連盟(陸連)の苅部俊二男子短距離部長の課題意識とともに、高平を中心にした代表メンバー同士の議論でアイデアが練り込まれていったものだった。

 専門種目である200メートルの生涯自己記録は20秒22。20秒03を持つ末續のように19秒台に迫ったわけではない。だが、04年アテネ大会で初めて五輪代表になってからの14年間、高平が日本男子短距離界にもたらした功績は計り知れない。目に見えにくいような形で、まるで「要石」のように。主役を演じているわけではないが、存在しなければアーチ全体が崩れ落ちてしまうというような形で影響力を及ぼしている。

「良くもなく、悪くもなく」の走り

3走のスペシャリストとして名を馳せた高平。そのチーム哲学は「良くもなく、悪くもなく」だった 【写真:松尾/アフロスポーツ】

 高平は大好きなバスケットボールの米国プロリーグNBAでよく使われる言い回しを引き合いに、自身のことを「“スタッツ”に残らない選手」と表現した。“スタッツ”とはゲームの結果として出るさまざまな項目の成績データのことだ。
「“スタッツ”に表れない、要石のような走り」は、チーム戦である400メートルリレーでこそ存分に発揮される。高平は400メートルリレーにおける哲学の一つとして、意外な考え方を挙げた。

「良くもなく、悪くもなく」

 その真意とは何だろうか? 高平が解説する。
「リレーのとき、僕は常に良くも悪くもないように走りたいと心掛けているんです。練習と違う走りをすることほど、本番で怖いことはない。どんなに良い走りでも練習とかけ離れたスピードなら前後の走者とのバトンパスは合わなくなってしまう。それを極力なくしたいというのが僕の思いでした。チームのかじ取りだけをやって、自分の仕事は水面下でやるということを心掛けていました」

 高平は2走だった05年のヘルシンキ世界選手権以外の世界大会はすべて3走を任され、3走のスペシャリストとして名を馳せた。1走がスタートを切るところから振り向きざまにレースの展開を追い、流れをつかんだ上で2走のスピードを受け止め、アンカーの激走を誘発する――。

 高平はフィニッシュラインと正反対の位置からレース全体を俯瞰(ふかん)し、2走と4走の間で調和と流れを生むイメージを持ってきたのだという。「司令塔という感覚か?」と問うと、「現場監督みたいな感じはありましたね」と、そんな返事があった。

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著者プロフィール

1969年北海道生まれ。業界紙記者などを経てフリーライター。ノンジャンルのテーマに当たっている。スポーツでは陸上競技やテニスなど一般スポーツを中心に取材し、五輪は北京大会から。著書に、『カーリングガールズ―2010年バンクーバーへ、新生チーム青森の第一歩―』(エムジーコーポレーション)、『〈10秒00の壁〉を破れ!陸上男子100m 若きアスリートたちの挑戦(世の中への扉)』(講談社)。

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