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高平慎士が担った「要石」としての役割
日本短距離界で異色の存在だった功労者

特別な緊張状態の中で普段通りの走りをする

北京五輪のレースには特別な緊張感があった。その中で求められたのが、冷静沈着なレースをやり抜くことだった
北京五輪のレースには特別な緊張感があった。その中で求められたのが、冷静沈着なレースをやり抜くことだった【写真:アフロスポーツ】

 あの北京五輪決勝でさえ、「良くもなく、悪くもなく」という走りに変わりはなかった。自分の走り自体は「生涯ベスト3には入らない」のだという。だが、このときほど高平のレース哲学の威力が発揮したことはなかった。男子短距離で初の五輪メダルという歴史的快挙を達成したという意味で。


 あのとき最も重要だったのは、冷静沈着なレースをやり抜くことだった。そして、高平はその課題をなし遂げた。なぜ、いつにも増して冷静さが必要だったのかと言えば、あのとき特有の状況があったからだ。


 特有の状況とは、一つには朝原の引退の花向けにメダルが欲しかったこと。朝原は前年の07年大阪世界選手権で引退を考えていたが、38秒03の日本記録(アジア記録。いずれも当時)を出しながらメダルに届かず、5位にとどまっていた。メダルを目指して朝原は引退を1年延ばしていた。


 二つには、同じ3走の5レーンに100、200メートルで世界新の衝撃的2冠を果たしていたジャマイカのウサイン・ボルトがいたこと。世界中のファンは、突如現れたこの怪物に熱狂していた。


「この空気に徹底的に飲まれてはいけない」


 8万人の観衆が熱い視線を向ける中で“鳥の巣”(北京五輪のメーンスタジアムの愛称)の7レーン上に立ち、スタートを待つ高平は「自分は何をすべきなのか、自分は何をしにここに立っているのか」と、心の内と向き合っていた。


 前を見ると、朝原が何かを大声で叫んでいる。「代表最後のレースを目前に、朝原さんでさえ普段見せたことのない緊張状態にあるということだろう」と高平は思った。「何が起こるか分からないのが五輪。だからこそ、バトンを確実にもらって確実につなぐこと、普段通りの走りをすることにすべてはかかっている」


 そう心に決め、高平は運命のときを待った。

レースの行方が見えてしまう能力

流れをつなぐレースをやりきった高平から、朝原の爆発的な疾走で締めくくりメダル獲得となった
流れをつなぐレースをやりきった高平から、朝原の爆発的な疾走で締めくくりメダル獲得となった【写真:アフロスポーツ】

 号砲。塚原、末續が絶好のスピードを作り出していた。末續からバトンを引き継ぐと、待ち受ける朝原の元へと、高平は強じんな腱を備えたカモシカのような長い脚を繰り出した――。


 高平の非凡さを示すのが、これから起こるであろうレース、今起こっているレースの行方が手に取るように感じられてしまうことだ。高校時代からそうだった。


「自分はこんな走りをするだろうなって見えてしまうんです。1週間くらい前にレースはもう終わっているくらい。順位までだいたい分かってしまうんです」


 11年テグ世界選手権とともに準決勝に進出したロンドン五輪男子200メートルは、その意味で生涯ベスト3候補のレースだった。


「これくらいの走りができれば通過できるという手応えがはっきりと見えていました。世界の舞台でそれができたのは、リレー以外ではあのときが初めてじゃないかなと思います」


 北京五輪男子400リレー決勝でボルトが内側から突き抜けていくだろう予測は、ロンドン五輪男子200メートル予選よりは容易だったかもしれない。だが、ともかく“見え過ぎてしまう”高平は「ボルト以外に負けなければいい」という良い意味での割り切りができ、ほぼそれを達成した。


「ボルトに抜かれないようにではなくて、抜かれてからうろたえないように。抜かれてから冷静に普段通りの走りができるような想定をして走りました。心を乱されない走りができたと思います」


 バトンをつないで流れを作るレースをやり切った。高平の走りは、朝原の爆発的な疾走と、日本に初のメダルを引き出したのだった。

これからは陸上界をよりよくする活動に専念

高平は日本の陸上競技界の未来のために何ができるだろうかと考えている。富士通というグローバル企業に所属していることも強みにするつもりだ
高平は日本の陸上競技界の未来のために何ができるだろうかと考えている。富士通というグローバル企業に所属していることも強みにするつもりだ【高野 祐太】

 高平の俯瞰する洞察力は、他者や全体にこそ向けられている。昨年、富士通の主将を任された一方で、成績が伸び悩んでいた後輩の高瀬慧(ロンドン、リオ両五輪代表)に対し、練習をともにすることが少ない高平は、彼を励ます言葉を第三者に託した。それを伝え聞いた高瀬は「とても勇気づけられました。普通、アスリートは自分のことで精一杯なのに、高平さんはすごい」と語っている。


 日本陸連のアスリート委員会の委員長としても活動し、常に、どうしたら陸上の価値が高まり、選手たちが生き生きと走り、跳び、投げられるのかを考えている。あるときには「100メートル選手と200メートル選手が戦う150メートル走、200メートル選手と400メートル選手が戦う300メートル走をイベントで行うなんて面白い」と、茶目っ気たっぷりにユニークな構想を語っていたものだ。


 そんな高平は9月23日の引退セレモニーの後の会見で、引退後について「指導者になるつもりはない」ときっぱり語った。組織を動かす仕事に関わり、日本の陸上競技界をより良くしていきたいと考えている。

高野祐太

1969年北海道生まれ。業界紙記者などを経てフリーライター。ノンジャンルのテーマに当たっている。スポーツでは陸上競技やテニスなど一般スポーツを中心に取材し、五輪は北京大会から。著書に、『カーリングガールズ―2010年バンクーバーへ、新生チーム青森の第一歩―』(エムジーコーポレーション)、『〈10秒00の壁〉を破れ!陸上男子100m 若きアスリートたちの挑戦(世の中への扉)』(講談社)。

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