桐生祥秀が現実化した9秒台突入の意味 ライバルたちとの間に起こる化学反応

高野祐太

試練を乗り越え、歴史的快挙を達成

9秒98という日本記録を打ち立てた桐生祥秀。日本男子100メートルにおいて歴史的な転換点となった 【写真は共同】

 ついに、陸上男子100メートルにおける〈10秒00の壁〉が越えられる日がやってきた。「こんな不安な脚の状態で出すというパターンできましたか、キリュウくん!」と叫びたくなるような、思わぬタイミングでの突破劇だった。

 9月9日の福井市、日本学生対校選手権で桐生祥秀(東洋大4年)と多田修平(関西学院大3年)の9秒台を目指すライバル同士の一騎打ち。多田が持ち前の加速力でリードする。だが、後半になって桐生がグイーンと伸び、一気に多田を逆転してフィニッシュラインを駆け抜けた。

 北京五輪男子400メートルリレー銅ダリスト(上位国のドーピング違反により銀への繰り上がりの見込み)、高平慎士(富士通)は「本能のような、リミッターの外れたような走りだった」と評した。

 電光掲示の速報は「+1.8 9.99」。正式掲示を待って息をのむ。表示されたのは「+1.8 9.98」だった。中国の蘇炳添が持つ9秒99も追い抜く19年ぶりの日本新だ。歴史的な瞬間に桐生は喜びを爆発させ、正面スタンドに向かって人差し指を突き立てながら今しがた走ったのと逆方向に爆走して見せた。

 その後、桐生は、高校3年から見てもらっている後藤勤トレーナーと抱き合う。後藤トレーナーは泣いていた。別の場所で土江寛裕コーチも泣いていた。桐生は言った。

「後藤さんは、しんどいときとか、いろいろ助けていただいた方なんで、その方が泣いている姿を見られて良かったなと思います。いつもしんどいことがあると僕は涙を流すことがあったので、今回は僕が笑顔でゴールして、見ていただける人たちが涙を流すというのは僕にとってはすごくうれしいです」

 高校3年になりたてだった13年4月に10秒01を出して鮮烈に表舞台に躍り出て以降、走るたびに10秒00の日本記録を塗り替えて9秒台を出すことを期待され、しかし出せない日々が4年以上続いた。その試練を鮮やかに乗り越えたことの感慨が込められていた。

常識的な想定を覆す意外性

4月の織田記念では向かい風の中、10秒04をマーク。ほぼ9秒台の走力に達していると専門家からは評価されながら、なかなか突破できなかった 【写真:中西祐介/アフロスポーツ】

 冒頭で“思わぬタイミング”という表現になったのは、前日の8日、9秒台を狙う筆頭候補であった桐生が、銅メダルを獲得した世界選手権(8月4日〜13日、イギリス・ロンドン)の男子400メートルリレーで、バトンを渡そうというタイミングで左太もも裏にけいれんを起こし、丸1カ月は高強度の練習ができていなかったことが明かされていたからだった。中強度の練習はできていたといっても、万全の状態でもこれまで出せていなかったのだから、そういうことに照らせば9秒台を狙うのは次回でしょうと、平凡な頭では考えてしまう。

 特に今季に入ってからは、ほぼ9秒台の走力に達しているという多くの専門家の評価がなされていながら、それでも突入できていなかった。

 例えば、4月29日の織田記念決勝の10秒04は向かい風での歴代日本最高であり、追い風に換算すれば、実質的に9秒台の価値があった。いよいよかと熱を帯びた5月13日のダイヤモンドリーグ上海大会はまさかのフライングで失格となってしまった。

 出そうで出ない。それが反転して、出なさそうなときに出てしまった。常識的な想定を覆す、この意外性たるや。意外性は、歴史的な快挙となるほどの〈壁〉と呼べるような困難な課題を克服するには必要な要素に違いない。想定した通りに事が運ぶなら、それは正解があらかじめ分かっているようなもので、〈壁〉の名に値する困難さたりえないからだ。

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著者プロフィール

1969年北海道生まれ。業界紙記者などを経てフリーライター。ノンジャンルのテーマに当たっている。スポーツでは陸上競技やテニスなど一般スポーツを中心に取材し、五輪は北京大会から。著書に、『カーリングガールズ―2010年バンクーバーへ、新生チーム青森の第一歩―』(エムジーコーポレーション)、『〈10秒00の壁〉を破れ!陸上男子100m 若きアスリートたちの挑戦(世の中への扉)』(講談社)。

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