内田とシャルケ、相思相愛の物語は続く それでも選んだウニオンでの再スタート

移籍直後から表れた内田効果

内田が新天地に選んだウニオン・ベルリンは、温かく家族的な雰囲気とファンの忠実さで知られている 【Getty Images】

 まだ新天地では1分たりとも、試合のピッチに立っていなかった。だが、ウニオン・ベルリンは獲得からほんの数日で、内田篤人の加入が普通の移籍ではないことを理解した。

 ソーシャルメディアでのフォロワーの急増が、初めてこの事実に気付いた瞬間だった。クラブの販売部門は、すぐに背番号2のユニホームの注文に追われるようになった。ドイツ国内のみならず、突然国外の多くのファンまでが、このブンデスリーガ2部のクラブカラーを身にまといたがったのだ。

 ドイツの首都にて、ウニオンの存在は地元の大きなライバルであるヘルタBSC(ヘルタ・ベルリン)の影に隠れているかもしれない。だが、ウニオンのホームグラウンドであるアルテ・フェルステライは、ベルリンに存在するものとして最大となる100%サッカーのためのスタジアムである。陸上トラックのないこのスタジアムには、1試合平均2万人のファンが訪れる。スタジアムの収容観客数は2万2,012人だから、実に90%の席が毎回埋まるという盛況に恵まれているわけだ。ちなみにこの“森の守り人の館(アルテ・フェルステライの愛称)”は2003年以降、毎年12月にサッカーファン以外にもその扉を開き、集った人々がクリスマスソングを響き渡らせることでも知られている。

 ウニオン・ベルリンはドイツ国内で、クラブの温かく家族的な雰囲気、そしてファンの忠実さで知られている。その伝統も情熱も申し分ないクラブに、内田という名のスターが加わった。ベルリンの地元メディアは「日本のベッカムのような存在」と、沸き立った。メディアは街中での内田の一挙手一投足に注目した。この29歳のDFはこの大都市の観光を楽しんでいるうちに、早くもこうした「パパラッチ」に慣れてしまっていたようだった。それもまたスターであること、そして内田の人間性を示している。

シャルケの超人気者「ウッシー」

 人口約25万人のゲルゼンキルヒェンは、約350万人が暮らすドイツの首都と比べればずっと小さな街だ。それでも、ファンは内田を見かけると、ドイツでは「ウルスラ」という女性の名の愛称である「ウッシー」に声をかけ、あるいはその名を叫んだものだった。その7年間を過ごした高貴なる青きクラブを、内田はファンの愛する存在のまま、後にした。

「内田はシャルケが獲得した、最初の日本人選手だったからね」。そう話すのは、ゲルゼンキルヒェンに暮らす根っからのシャルケファン、シナン・サトだ。

「もちろんそれはファンが内田に親しみを感じる理由の一つではあったけれど、あの最高に親しみやすい態度が、日本でも人気を獲得した理由だと思うんだ」

 ディルク・グロース・シュラーマンは、テレビ局『スカイ』の担当記者として、何年もシャルケを追ってきた。サトの意見に、シュラーマンもこれ以上ないほどに強く同意する。

「内田は超人気者だったよ。何せ、あれほどのフレンドリーさだからね。いつも穏やかで、紳士的だった」

 そういう日本人的な性格というものを、シュラーマンはそれまでの日本人との出会いからも知っていた。日本のファンは内田に写真撮影を求めるだけでも、とても恥ずかしそうだった。それでも、「サインを求められると、内田はいつも足を止めて、最後のファンが満足するまで待ち続けていたよ」とシュラーマン。だからこそ何百人ものファンが、自分たちのアイドルを目にするために足を運んだのだ。

 内田はどんどんブンデスリーガから消えていく“希少な存在”であると、シュラーマンは強調する。

「このフェイスブックの全盛期に、選手が一番気にするのは自分の露出だ。『僕の新しいスパイクを見てよ!』『この髪型、最高だろ?』ってね。シャイで、少し引っ込み思案。ネガティブなことは決して口にせず、ファンとの時間を大切にする。そんな選手は、どんどんいなくなっているんだ」

シャイだがユーモアのある日本人選手

ドイツ語を懸命に勉強した内田は、ユーモアセンスでもシャルケのファンを魅了した 【Getty Images】

 内田のことを深く知るようになるにつれて、シャルケの人々はこう話すようになっていった。内田はシャイかもしれないが、とてもユーモア感覚がある、と。「チームの中で冗談を言っている時、いつもそこには内田がいたものだった」と、シュラーマンはかつての背番号22を思い出す。

「そんな内田を皆が誇らしく思っていたし、だからこそ彼に親しみを感じてもいた。ファンミーティングや、それ以外のイベントでもそうだった。マイクを渡されると、いつもおかしなことを言って笑わせていたよ」

 シャルケのファンであるサシャ・ミュラーも、そうした記憶を呼び戻す。

「15年にシーズンが始まったころだったと思う。ステージ上でけがからの早期復帰を願うファンの声を聞くと、『Danke, Schatzi(ありがとう、愛しき人よ)』と返していたね」

 ブンデスリーガでプレーする他の日本人選手と比較しても、内田はドイツ語を懸命に勉強しており、かなり早くにドイツ語をよく理解できるようになっていた。言葉がしっかり分かっていないと感じているかのような様子を見せることもあるが、内田はドイツ語での会話に大きな進歩を示していた。また、ピッチ上に立ち続けることと銀行口座の預金だけを気にするのではなく、内田が本当の「シャルカー(シャルケ人)」になりたがっていることは、周囲に十分伝わっていた。

 ハサン・タリブ・ハジは、シャルケについて記すブロガーの中で、最も有名な1人である。10年、フェリックス・マガトがアジア人選手を獲得した時にはとても驚かされたと、ハジは記憶を掘り起こす。「名前はウチ…なんだっけ?」。だが、そんなハジも含めて、シャルケファンが内田のパフォーマンスに心をつかまれるまで、それほど長くはかからなかった。

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著者プロフィール

フランソワ・デュシャト 1986年生まれ。世界最大級のサッカーサイト「Goal.com」でドイツ語版の編集長を務め、13年からドイツで有数の発行部数を誇る「WAZ」紙のサイト(http://www.derwesten.de/)でドイツ西部のサッカークラブを担当する。過去には音楽の取材もしていた。ツイッターアカウントは@Duchateau。自身のサイトはwww.francoisduchateau.net。 ダビド・ニーンハウス 1978年生まれ。20年以上にわたり、ルール地方のサッカークラブに焦点を当て、ブンデスリーガの取材を続ける。09年からは「WAZ」紙のサイト(http://www.derwesten.de/)で記者を務める。ツイッターアカウントは@ruhrpoet。自身のサイトはwww.david-nienhaus.de。

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