確かな歩みを刻んだ田中刑事の3年間 課題は「4回転と表現、そして自信」

長谷川仁美
 来年2月の平昌五輪に向けたシーズンが、いよいよ始まる。今季もこれまで以上に過酷で、ハイレベルな争いが展開されるだろう。前回のソチ五輪から3年半。出場権を狙う選手たちはどのような道を歩んできたのか。連載の第4回は田中刑事(倉敷芸術科学大)の過去3シーズンを振り返る。

魅せるスケーターへと変貌

着実な成長を遂げてきた田中は、魅せるスケーターへと変貌しつつある 【坂本清】

 田中刑事がシニアの国際大会に出場するようになったのは、2014−15シーズンから。大学2年生のときだった。早いシニアデビューではないが、その4年前の10−11シーズン、初めて出場した世界ジュニア選手権で2位となったのち、ジュニアグランプリ(GP)ファイナルに3度出場したり、全日本ジュニア選手権では金銀銅のすべてのメダルを手にしたりと、知られた存在となってからシニアに本格参戦した。

 シニア1年目、初めてのGPシリーズは中国杯。8位だった。全日本選手権の前には腰の分離症に悩まされ、満足のいく成績を残せないシーズンとなった。

 だが、シニア2年目の15−16シーズンから、田中は確かな歩みを見せるようになる。

「練習では、どんな形でも全部ジャンプを続けるようにしています。当たり前の練習なんですけど、すごくしんどい。でも、そういう練習を続けていくと、それが安心に変わっていくと思います」

 そうして臨んだNHK杯では、「イメージづくりがよかった」という4回転サルコウを、試合で初めて成功させる。

「しっかり4回転を決めることが、ずっと目標でした。それをクリアすることができたので、次の段階に進める感じです」

 全日本選手権は4位。四大陸選手権では4回転を決められなかったが、6位に入った。少しずつ評価されてきた手応えがあった。特にフリーの『椿姫』は、その前のシーズンから2季続けて使ったこともあり、長身の田中にぴったりと合い、ノーブルで気品ある姿を印象づけた。加えてこの頃、スケーティングやエッジ遣いなどを長光歌子コーチから指導を受けるようになったこともあり、ステップやプログラムの表現でも魅せるスケーターに変貌しつつあった。

「どの試合でも、得るものは得て、課題も出て、いいシーズンだったなと思います。四大陸にはレベルの高い選手がたくさん出ていて、『もっと勝ちにいきたい』という気持ちが前よりすごく強くなってきました」

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著者プロフィール

静岡市生まれ。大学卒業後、NHKディレクター、編集プロダクションのコピーライターを経て、ライターに。2002年からフィギュアスケートの取材を始める。フィギュアスケート観戦は、伊藤みどりさんのフリーの演技に感激した1992年アルベールビル五輪から。男女シングルだけでなくペアやアイスダンスも国内外選手問わず広く取材。国内の小さな大会観戦もかなり好き。自分でもスケートを、と何度かトライしては挫折を繰り返している。『フィギュアスケートLife』などに寄稿。

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