「心が折れなくなった」樋口新葉の成長 平昌五輪へ、強化すべきは表現力

野口美恵
 来年2月の平昌五輪に向けたシーズンが、いよいよ始まる。今季もこれまで以上に過酷で、ハイレベルな争いが展開されるだろう。前回のソチ五輪から3年半。出場権を狙う選手たちはどのような道を歩んできたのか。連載の第2回は樋口新葉(日本橋女学館高)の過去3シーズンを振り返る。

注目度が増したソチ五輪の翌シーズン

全日本ジュニアで優勝した14−15シーズン、樋口新葉の注目度は一気に高まった 【坂本清】

 2001年1月2日に生まれた。「21世紀の始まりに」と授かった名前は『新葉』。名前そのままに、フレッシュな勢いが持ち味の少女、それが樋口新葉だ。16歳となった今季、初の五輪に向けて気合いを高めている。

 まず、子供の頃からスピードが違った。他のお姉さんたちを圧倒するパワーでリンクを駆け抜け、ダイナミックなジャンプを跳ぶ。負けず嫌いの性格も功を奏し、ソチ五輪があった13−14シーズンには12歳で全日本ノービス選手権優勝。次世代のエースと期待された。

 ジュニアに上がった14−15シーズンは、ジュニアグランプリ(GP)ファイナルへの出場も決め、勢いは増すばかり。14年の全日本ジュニア選手権はノーミスの演技で圧勝した。

「夏に腹筋、側筋、バランスなど体幹トレーニングをして、ジャンプも滑りも安定してきたと思います」

 パワフルな演技と強気の精神が売りの元気少女。15年3月にエストニアで開かれた世界ジュニア選手権では、やはりスピード感のある演技を見せて銅メダルを獲得した。

「伸び伸びと、あまりいろいろ考えずに滑れたのが良かったです。ロシアの選手には、ジャンプの流れやスケーティングの速さでは勝てたと思いますが、表現力や身体の使い方が全然足りません。でも、そこを磨けば勝てるということ。2年後の五輪シーズンに向けて、このままだとダメなのでステップアップしたいです」

 急に注目を集めるようになったこのシーズン。「祖父や家族が、テレビを見てすごく喜んでくれます。まだ注目されることに気持ちの整理がついていないのですが、もっと上に上がるためには慣れないと!」と照れながら話す姿が初々しかった。

不安とプレッシャーに耐えて得たもの

全日本ジュニア2連覇を達成して得たものは、自分に打ち勝った自信だった 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 その翌シーズンこそが正念場だった。全日本ジュニア女王として、初めて「追われる」立場に。しかしオフ中に練習過多で腰を痛め、万全のシーズンインを迎えられなかった。

 ジュニアGPシリーズは5位と2位。クロアチア大会では好演技をしながらも2位となり、ファイナル進出を逃した悔しさから表彰台で号泣した。

 その翌月となる15年11月の全日本ジュニア選手権。樋口は確かな自信を胸に現れた。

「ジュニアGPファイナルに行けなくて悔しくて、本当にキツイ思いをしました。でも全日本ジュニアが一番の大会なので、そこにベストを持っていこうと切り替えました」

 練習中、プレッシャーから気持ちが集中せず、自分にいら立ちを感じることもしばしば。しかし毎晩のように自問自答を繰り返し、全日本ジュニアに精力を傾けてきたという。迎えた本番は、前年女王のタイトルにふさわしい気迫あふれる滑りで、大会連覇を飾った。

「去年優勝したからすごく緊張しましたし、周りも優勝を狙っていたのでその重圧に負けそうになった時もあります。頑張らないと、という気持ちは試合ごとに強くなっています。今のライバルはプレッシャーです。それを乗り越えられたのはすごくうれしいです」

 ケガの不安と昨季女王のプレッシャー。その両方に耐えて得たものは、2度目のタイトルだけでなく、自分に打ち勝った自信だった。

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著者プロフィール

元毎日新聞記者、スポーツライター。自らのフィギュアスケート経験と審判資格をもとに、ルールや技術に正確な記事を執筆。日本オリンピック委員会広報部ライターとして、バンクーバー五輪を取材した。「Number」、「AERA」、「World Figure Skating」などに寄稿。最新著書は、“絶対王者”羽生結弦が7年にわたって築き上げてきた究極のメソッドと試行錯誤のプロセスが綴られた『羽生結弦 王者のメソッド』(文藝春秋)。

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