萩野公介、世界水泳は己との戦いに プロ1年目に直面する苦境
■萩野公介を知る3つのポイント
・リオデジャネイロ五輪400メートル個人メドレーの金メダリスト。
・日本競泳史上2人目のプロ選手。
・過去の世界水泳では苦い経験を味わう。
明から暗へ……表情が変わった1カ月
競泳界で史上2人目のプロ選手となった萩野を、スランプが苦しめる 【写真:田村翔/アフロスポーツ】
昨年9月に行った右肘手術からの回復具合は? 大学を卒業しプロとして初めて臨む国内ビッグタイトルへの思いは? 東京五輪へ向けて今年の位置づけは? どの質問に対しても、即答する萩野からは自信が満ち溢れていた。
「すべてが新しいと言っても過言ではないくらい、周りの環境が変わって新鮮な気持ちです。東京五輪へ向けた第一歩の大会になりますし、社会人としての第一歩です。プロになって今までとは全然違う大事な日本選手権ですので、いい結果を出したいと思います。皆さんが思っているよりはいいタイムで泳げると思いますよ」
りんとした表情でこう語ったその約1カ月後の5月中旬。ジャパンオープンを終え、記者たちに囲まれる萩野の表情は別人のように暗かった。
「また同じことの繰り返しですね。(今大会は)自分の一番弱いポイントの気持ちを見つめ直すきっかけになりました。夏にこんなことはもうできないので、身体も気持ちも鍛え直しかなと思います」
自由形の不調「こんなに難しかったっけ?」
世界水泳でも、ライバルの瀬戸(左)と2人で表彰台に並び立つ姿を見たい 【写真:築田純/アフロスポーツ】
「日本選手権よりも速く泳ぐことはもちろん、ベストに近いところで泳ぎたい」と意気込んで臨んだジャパンオープンは、初日の200メートル自由形で江原騎士(自衛隊体育学校)に敗れ2位に甘んじると、翌日の4個メも3位に終わる。最終日の200メートル個人メドレー(2個メ)こそ優勝したものの、他に出場した100メートル自由形は5位、100メートルバタフライは4位と、大会通じて納得の泳ぎはできなかった。
さらに6月の和歌山選手権では自由形3種目(100、200、400メートル)にエントリーしたが、低調なタイムに終始し、200メートルの3位が精いっぱい。「こんなにフリー(自由形)って難しかったっけ?」と大会後にもらすほどである。
「勝ち負けが生まれるのがスポーツだと思うので、素晴らしい選手たちと一つ一つの真剣勝負をすることによって僕も少しずつ成長できているかなと思います。今はこれ以上はできないというレースを毎試合やっています。世界水泳に向けた課題はすべてだと思います」
そう気持ちを切り替えている萩野は、本番直前までは約1カ月の高地合宿で調整を進めている。
リオ五輪で3つのメダル(4個メで金、2個メで銀、4×200メートルフリーリレーで銅)を獲得しながら、萩野にとって世界水泳は決して相性が良い大会とは言えない。2年前は大会1カ月前に右肘を骨折して欠場。4年前はリレーを含めた7種目に出場し2個のメダルを手にしながら、本命視されていた4個メで5位に終わるなどを失望を味わった。
今回は五輪金メダリストとしてだけではなく、トビウオジャパン(競泳日本代表の愛称)の主将として大会に臨む。
過去の苦い経験に加え、勝負の厳しさ、成績を残し続ける難しさに直面する萩野。プロ1年目の世界水泳、今がこの苦境を乗り越える時だ。
(文:澤田和輝/スポーツナビ)
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