“マラソン研究力”がスピードを左右する 2時間切り挑戦が日本に示したヒント

永塚和志

英知を結集させた壮大な挑戦

総力戦で臨んだ「ブレーキング2」がマラソン界に与える影響とは? 【Getty Images】

 6日にイタリアのモーターレーストラック「モンツァ・サーキット」で行われた、マラソンの2時間切りを狙う「ブレーキング2」プロジェクトのトライアルレース。世界から招待されたメディアが見守る中、目標達成はならなかったものの、参加3選手の中でリオデジャネイロ五輪金メダリストのエリウド・キプチョゲ(ケニア)が2時間00分25秒という好タイムでフィニッシュした。「2時間の壁」は越えられなかったとは言え、非公認ながら、デニス・キメット(ケニア)の持つ世界記録を2分32秒も短縮したことを見逃してはならない。

 もちろん、キプチョゲという実力者の力量によるところは大きかっただろうが、一方で、3選手は大手スポーツ用品メーカー、ナイキの技術や知識を結集したチームプロジェクトのサポートを受けてもいる。こうしたコラボレーションワークによる取り組みは、今後スピード化が進むマラソンへのアプローチを変える可能性がある。これほど本腰を入れて注力しなければ記録を出すことは難しくなってくるのではないか、ということだ。

 昨年12月、同社は「ブレーキング2」と称したマラソン2時間切りのプロジェクトを発表した。そして、スポーツ科学や運動生理学、栄養学、シューズやウエア、そして戦略的トレーニングといった多角的なアプローチから、コンマ数秒のタイム短縮のために注力してきた。それらのすべてが、ディテールにとことんこだわったものだった。

「人間の限界を押し上げるには一つ一つのピースを細かく検討していかねばならないと、今回我々も知らしめられました」

 外部アドバイザーとしてプロジェクトに加わってきた生理学の専門家アンディー・ジョーンズ教授(英国・エクセター大)は、トライアルレース後にそう話した。「環境、コース、トレーニング、栄養、生物学。そういったものを細かく研究して、どれだけ選手のパフォーマンスを改善できるか正確に計算します。そうすることで数秒、あるいは1分を縮められるかもしれないのです」

過去の常識が今後も正しいのか

空気抵抗などを考慮してスプリンターのようなユニホームを着用。記録達成のため、あらゆる面での究極を目指した 【(C)NIKE】

 今回のプロジェクトを見ていてとりわけ強調された単語が「ランニングエコノミー」だ。これは車で言えば燃費の良さに例えることができるもので、つまりはどれだけエネルギー消費を少なく効率的に走ることができるかを示す。「ブレーキング2」は、ここにこだわった。実際、ハーフマラソンでは世界記録(58分23秒)を持っているもののフルマラソンでは大きな実績のないゼルセナイ・タデッセ(エリトリア)が3人のリストに入ったのはそういった理由だった。

 選手たちが身に着けるシューズやウエアにしても、同様にディテールにこだわった。シューズは従来のエリートランナーが着用したような軽量さを優先したソールの薄いものとは異なり、脚へのダメージを抑えてレース終盤でのスピード低下を防ぐべく厚底に、ウエアも空気抵抗などを考慮してスプリンターのように体に密着させるものを着用させた。選手が不快感を覚えないように素材にも当然のことながら気を配っている。

 科学的側面でチームを支えたブラッド・ウィルキンズ氏によれば、実際にはそうはしなかったものの、選手を心理的に鼓舞すべく舞台のモンツァ・サーキットに観客を入れるかどうかもプロジェクト内で議論になったそうだ。それほどまでに、妥協なく最良の条件で挑戦に臨んだということだ。

 プロジェクトのシューズ開発ディレクター、ヘレン・ハッチンソン氏は、「過去に正しいと思われていたことが将来にわたってもそうだとは言い切れません」と語り、新たなものを生み出すには過去にとらわれていてはいけないと示唆した。トレーニング法や運動生理学など、他の領域についても同様のことが言えるだろう。実際、プロジェクトに関わった関係者の話を聞いていても、誰もが今以上の技術や策の改善の余地があると考えている。当然これまでも、ナイキやプロジェクトが行ってきた研究や技術開発の全てがうまく行ったわけではなく、多くの”トライ&エラー”を経てここまで来たはずだ。

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著者プロフィール

茨城県生まれ、北海道育ち。英字紙「ジャパンタイムズ」元記者で、プロ野球やバスケットボール等を担当。現在はフリーランスライターとして活動。日本シリーズやWBC、バスケットボール世界選手権、NFL・スーパーボウルなどの取材経験がある

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