がんと付き合っていくため幕引きを決断 プロレスラー・亜利弥’、決意の引退試合
プロレスのおかげで余命宣告を回避
4月7日の東京・新宿FACEで引退興行を行う亜利弥’に、その決意を聞いた 【写真:田栗かおる】
試合中、首にがんが転移してることを忘れて、スープレックスを使ったんですが、首に縦にヒビが入ってしまいました。転移している所の骨は、どうしてももろいので……。でも、「痛いな〜」くらいですんでよかったです。1カ月くらいはダメージが残りました。全身疲労、有刺鉄線で背中は切れてるし、竹刀で叩かれた所も痛いし……。
――昨年の「20周年記念興行」の前に、主治医から「その年の桜は見られないかもしれない」と余命宣告もされたそうですが、昨年どころか、今年の桜も見れましたね。
ハイ。見れちゃいましたね(笑)。プロレスをやって、アドレナリンが上がって、がん細胞に勝ったんでしょうね。
――その後、どういった治療をされてきたんですか?
ホルモン治療で、飲み薬と注射です。ただ、副作用がすごく強いので、減薬したり、やめたりで、毎月試行錯誤しながらなんとかやってきました。骨を強くする注射を打ってるんですが、その効果で、去年の1月より調子は全然いいですね。去年は転移してる所に何かあったら死んでもおかしくなかった。今は骨がコーティングされて硬くなってきて、去年より不安感はないです。
――抗がん剤は投与されてないんですか?
使ってないです。抗がん剤は正常な細胞も破壊してしまうんです。ボロボロになったり……。抗がん剤治療だと、どれだけ時間がかかるか分からない。2年とか3年とかかかって、プロレス復帰ができなくなる。自分の解釈では、引退するまではやらないと決めてた。引退した後は、おいおい考えていこうかと……。今まで薬とか飲んだことがなかったので、全部効いてしまって副作用がすごいんです。ほかの人なら流せるような、些細な副作用でも私には効き過ぎてしまって……。プロレスを20年間やっていたんで、痛み止めのロキソニンは飲んでいたので、逆に痛み止めに対しては効かないんですが、そのほかの薬には過剰に反応してしまうんです。
ストレスがなければ長生きできる部分も
昨年の20周年興行でも満身創痍だったが、その時の約束を果たすため引退試合へ 【写真:田栗かおる】
一昨年どんどん悪くなっていって、先生から、毎月「来月は危ない」とか言われてたんです。去年試合する前月に薬を使ったんですが、試合が終わったのと同時に、相乗効果でいきなり数値が下がったんです。でも、ここ最近、試合することが決まって、バタバタしてると、数値が悪くなってきまして、「薬を変えようかな?」と思ってます。でも、見た目的には何も変わってないので、それが救いかな。
――腫瘍マーカーの数値は体調と関係してくるものなのですか?
はい。数値が悪いと、がん細胞が勝ってしまうんです。白血球が動いたりとか……。疲れると、がん細胞が勝ってしまうので、数値は落ちます。
――現在どれくらいのペースで通院されているのですか?
基本は月1回なんですが、腫瘍マーカーの数値次第で、2〜4回行くこともあります。骨を強くする注射も打たなければならないわけではないのですが、打っておけば骨折のリスクも減りますし。検査も被爆ギリギリまで受けてます……。レントゲンを見て、最近やっとがんだと認めるようになってきました。
――今どこに、がんの転移があるのですか?
頸椎、胸椎、腰骨、肋骨、肺、リンパ節。去年の年末に、胸骨と背中は2カ所になりました。もう増えても驚かないです。去年の1月、股関節に穴が空いているのを知らなくて、後で全体画像を見て分かったんですが、「受け身を取って、よく折れなかったな」と思いましたね。肺に転移してから、もう2年半くらい経ちますね。
――今の状態をキープしながら、やっていくということができるんですか?
できると思います。先生が言っていることを100パーセント聞くと、マインドコントロールになって、そこに向かって死んでいっちゃう。私は先生の言うこと半分、自分が調べたこと半分でやっています。薬を飲まない方法もある。薬を飲まないことで、関節の副作用もない。快適に過ごせるので、ストレスなく長生きできると。