がんと付き合っていくため幕引きを決断 プロレスラー・亜利弥’、決意の引退試合

ミカエル・コバタ

引退決断は「治らない」という悟り

体調も良くなり「去年よりいい試合ができる」と判断したことでリングに向かう決意を固めた 【スポーツナビ】

――1年前に試合をして、その後、プロレス活動はどうしようと考えていましたか?

 無謀なことだとは思いますが、本当に1年で治そうと努力してきました。でも、実際には変わっていない。本当は1年なり、2年なりかけて治った時点で引退興行をしたかった。でも、先生と1年間、話をしていくなかで、「治らないな」とあきらめてしまいました。治らないなら、悪くせず、がんと付き合っていこうと思うようになりました。試合をしてないのに、「プロレスラーです」と語ることもできないし、そう語れば選手に失礼な話。それでモヤモヤしてました。去年の1月、お客さんに「もう1回リングに上がる」と言った以上、「もう1回どうしてもやりたい」と思ったのが、去年の10月でした。去年の1月のときは、服やコスチュームを仲間に着せてもらったりとか、そんな状況での試合でした。今はそういうのにも慣れてしまって、自分でなんとかできるようになったし、体調も良くなってきたので、「去年よりいい試合ができるな」って思いまして……。だったら試合をしようと思ったんです。

――引退はセカンドチョイスだった?

「治らない」というあきらめ、悟りですね。毎日ネットで、いろいろな治療方法を調べて、治すことを考えていましたが、数値が悪くなっていって、「何をやっても、がん細胞は強いな。無理だな」って……。今なら悲壮感なく、リングを降りられる。去年、「もう1回リングに上がる」と言って、たまに「待ってるよ」と声を掛けてくれる人たちがいる、有言実行にはならないかもしれないけど区切りですね。いつ命が尽きるか分からないし、ステージ4から変わらない。今は週1回3時間くらいですけど、総合格闘技の練習もできてるし、去年より、がんとどう付き合えばいいか分かったし……。引退するなら、21周年を迎える前の20年目にしたかった。4月14日がデビューの日なので、その前に開催しようと思いました。

――会場は新宿FACEにこだわりたかったんですか?

 はい。ここはプロレスだけじゃなく、格闘技の試合もしたし、思い入れのある会場なので。

――主治医からは、反対された?

「了承できません」と……。「けれど、できる範囲で頑張ってください」と理解してくれました。

――試合をすることは、当然、体にリスクがあるわけですよね?

 肺の転移が治ってなくて、それが原因で呼吸が止まる可能性があります。それでも、去年はスープレックスを出しちゃった。お客さんに事故現場を見せるわけにもいかないし、自分の足でリングを降りたいので、スープレックスを出そうとしたら、誰か止めてほしいです(笑)。

最終戦は男女入り混じっての時間差バトルロイヤル

――試合をするにあたって、コンディションは去年の1月より、いいわけですね?

 はい。今の方が10倍いいです。総合格闘技の練習もできているし、フィットネスジムには毎日通って、有酸素運動とかもやっています。

――最後の試合を終えたら、もうプロレスラーは名乗れなくなりますね?

 寂しいですね。今21年目ですが、もっと早く止める機会があったと思う。でも、逆にがんになったからこそ、区切りをつける場ができて良かった。それがなかったら、もしかしたらフェードアウトになっていたかもしれないし、引退興行もできなかったかもしれないし、やろうとも思っていなかった。それががんになったおかげで区切りを付けられた。止めた後は違うステージで生きていく姿を見てほしいです。今は2人に1人はがんだとか言われてますけど、区切りをつけたら起業してみたい。

――引退試合は時間差バトルロイヤルになりましたが、通常の試合形式では体調面で厳しいのですか?

 いいえ。それは違うんです。当初は8人タッグで通常の試合をやろうと思っていたんです。去年より全然動けますし。でも、よく考えてみたら、バトルロイヤルなら、いろいろな選手と対戦できるので、その方がいいかなと思ったんです。私は大日本プロレスにいたこともあるし、練習も男子選手と一緒にやることが多かったので、男子の選手とも対戦したかったので、こうなりました。がんである私と当たるのは“重い”と思うんですが、「最後に対戦したい」と言ってくれる選手が多くてありがたいです。

ジャガー横田、ダンプ松本、紫雷イオも参戦

引退興行には多くの選手が手を挙げてくれた。ダンプ松本も真っ先に協力してくれた一人 【写真:田栗かおる】

――引退興行には女子、男子問わず多くの選手が出場しますね。

 そうですね。自薦、他薦、たくさんのオファーをいただいて、ありがたいです。

――藤田ミノル選手、葛西純選手とは大日本時代、在籍が重なったときはあったのですか?

 あります。藤田さんは私が大日本に入ったときは、もうデビューされてました。今回は「たまたま東京にいるから出たい」と言ってくださって。葛西選手はちょうど入れ違いで、私が退団するときに、入ってきて「よろしくお願いします」とあいさつされました。

――かつて所属していたJd’、大日本の元選手が数多く協力してくれます。

 ありがたい気持ちでいっぱいです。大日本の登坂(栄児)社長が、とても好意的で、「興行をやるなら、ウチで開催してあげるよ」と言ってくださったんですが、頑固なもので、「自分でやります」と言いまして。(笑) 本当は半分くらい大日本の選手を借りたかったんですが、あいにく大日本は北海道巡業中で、それは無理になりました。

――元Jd’の坂井澄江選手は米国在住ですよね?

 そうです。この日のために米国から来てくれるんです。連絡は取り合っていたんですが、去年の夏くらいに、「引退興行をやろうかなと思ってるんだ」と雑談したら、「手伝わせてください」って言ってくれて、今もSNS関係とか全部、坂井がやってくれています。

――ジャガー横田選手、ダンプ松本選手という女子プロ界の大御所も出場しますね。

 私は、その時代の選手を見てプロレスに入ったので外せないです。去年、20周年をやるときに、いちばん最初にメッセージをくれたのがダンプさん。そういう心ある先輩に出てほしいと思ったんです。

――意外だったのは、あまり縁がなかったスターダムのトップである紫雷イオ選手の参戦です。これは、どういう経緯で決まったのですか?

 イオ選手とは面識もなかったのですが、去年の20周年のときに、ブログか何かを見て、花束を持って来てくれたんです。その後、1年間ごあいさつにも行けてなくて、「だったら試合に出てもらおう」ってなったんです。その前に、坂井を通じて、会う機会がありまして、イオ選手が「何かあったら協力させてください」と言ってくださって。だったら、(ロッシ−)小川社長にお願いするしかないとなりまして、決まりました。

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