大躍進の尾崎里紗が持ち帰った自信と課題
“一枚のチラシ”から始まったテニス人生

“お稽古ごと”好きの少女がテニスと出会う

尾崎里紗はマイアミ・オープンで格上選手を次々に破り、4回戦進出と躍進した
尾崎里紗はマイアミ・オープンで格上選手を次々に破り、4回戦進出と躍進した【Getty Images】

 多くのテニスプレーヤーには、それぞれ今に連なる、印象的な“始まり”の物語がある。錦織圭(日清食品)にとっては、5歳の時に父親がハワイ土産で買ってきてくれたジュニア用ラケットが、世界への扉を開く鍵となった。

 元女子世界1位のアナ・イバノビッチ(セルビア)は5歳の時、母国の英雄モニカ・セレスの試合放送中に流れたテニススクールのCMを見て、その電話番号を暗記し、母親に行かせて欲しいと頼んだ。


 WTAツアーのマイアミ・オープンを予選から勝ち上がり、上位選手を打ち破って4回戦まで大躍進した尾崎里紗(江崎グリコ)にとって、それは“一枚のチラシ”だった。


 小学2年生に上がったばかりの春。近所のテニススクールのコーチたちが校門の近くで配っていたチラシを彼女は友人たちとともに手にする。当時すでに、ピアノに水泳、剣道に習字も習っていた“お稽古ごと”の好きな少女は、テニスもやってみたいと親にせがんだ。それが、彼女のその後の人生を決定づけようとは、この時本人はもちろん、両親たちも想像だにしなかったろう。

川原コーチ「頑張る“目”を持った子だった」

 チラシが世界への切符なら、水先案内人は、スクールで出会った1人のコーチである。高校卒業と同時に指導者の道を歩み始め、コーチとして全国区のジュニアを輩出するなどの実績を積み、いつからか「グランドスラムに出る選手を育てたい」と切望していた熱血漢は、尾崎を見た時、「この子だ」と直感した。


「あの子のどこに可能性を感じたか……というのは、良く聞かれるんですが……」


 今も変わらず尾崎を指導する川原努は、10年以上前の日々をまるで昨日今日の出来事のように思い返して、断言する。


「“目”、なんですよ。あの子は、がんばれる目を持った子だった」


 その“目”に自分の夢を映した川原は、尾崎が10歳になったころ、両親を説得しに掛かる。


 週に5〜6日はレッスンに来て欲しい――率直に切り出す川原の申し出に、親は戸惑いを隠せない。それでも最終的には川原の熱意に押される形で、尾崎は週5〜6日のレッスンに加え、川原の「無制限」個人レッスンも受け始める。そんな川原の情熱は、時にスクールのオーナーのお小言を誘うこともあったが、それでも彼は止まらなかった。


 果たして、10歳の少女の目を見て「がんばれる子」と確信したコーチの目も、またある種の慧眼(けいがん)だったのだろう。尾崎は小学6年生時に全国小学生大会を制すると、以降も全日本ジュニアなど、国内の年齢別タイトルを総ざらいした。15歳の頃には本人も、「きっと、プロになるんだろうな……」と、未来の自分を見定め始める。チラシを手にした春から、6〜7年の月日が経っていた。


 なお尾崎本人は、川原が彼女に惚れ込んだその訳を、人づてに聞き知っていたという。

「なんか、目がああだこうだ……というヤツですよね?」


 ああだこうだ……という柔らかな物言いに、控え目な彼女らしい照れと、長年師事するコーチへの信頼がにじんでいた。

内田暁

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

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