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横浜FMの育成スペシャリストがベルギーへ
自身の成長への渇望と、課題意識を胸に

JFAとJリーグの協働プログラム

ベルギーの名門・RSCアンデルレヒトへ1年間にわたって派遣される横浜F・マリノスジュニアユースの坪倉進弥監督
ベルギーの名門・RSCアンデルレヒトへ1年間にわたって派遣される横浜F・マリノスジュニアユースの坪倉進弥監督【スポーツナビ】

 そのプレスリリースが大きなニュースになることはなく、門出に際して派手な記者会見が催されたわけでもない。ただ、育成年代の取材者の1人としては、ちょっと驚きの発表だった。横浜F・マリノスジュニアユースの坪倉進弥監督が、ベルギーの名門・RSCアンデルレヒトへ2017年1月〜12月の1年間にわたって派遣されるというのだ。


 この派遣はJFA(日本サッカー協会)とJリーグが連携して行っている「JFA/Jリーグ協働プログラム(通称JJP)」の一環。同一視されることの多い2つの組織だが、“お財布”はそれぞれ別に持っている。ざっくり言ってしまうと、JJPは主に選手・指導者の育成という2つの組織にとって共通の課題について、互いの財布からお金を出し合おうという試みだ。


 年間5億円ほどの予算(15年開始時の見込み)を投じて、「Foot PASS(フットパス)」というクラブの育成組織を世界基準で客観評価するシステムやJクラブや選抜チームによる海外遠征、国際ユース大会開催、指導者の海外研修などを行ってきた。Jリーグの中西大介常務理事の言葉を借りれば、「要するに国際経験と国際感覚」の蓄積を主な目的としている。


 指導者の海外研修については、これまでもJクラブの指導者やアカデミーダイレクター(育成部門の責任者)たちに、AFC U−16選手権のような大きな国際大会や欧州クラブを視察させるといったことを実施してきた。中西常務理事は「これまで行ってきた(短期での)指導者海外研修も、それはそれで価値がある」としつつも、「どうしても限界はあった」とも言う。要するに、時間が短すぎるのだ。


 中西常務理事は「以前から長期での指導者派遣は検討していましたが、(所属クラブとの)契約の問題もありますし、理解を得ないといけません」と簡単でなかったことも明かしつつ、「国際感覚を持った育成年代の指導者を育てることは、日本サッカーにとって大きな課題」と今回の指導者研修を推進してきた。


 今回、そんなプロジェクトの第1弾として旅立つ坪倉監督を直撃。“現場たたき上げ”の指導者である彼に、日本サッカーの課題と欧州の“現場”に臨む意気込みを聞いた。

大学時代、サッカーから離れた生活を送った末に……

石川直宏、坂田大輔、田中隼磨らがいた99年のマリノスユース。あの当時の選手たちはいまでも坪倉監督のスタンダードだという(写真は00年の石川)
石川直宏、坂田大輔、田中隼磨らがいた99年のマリノスユース。あの当時の選手たちはいまでも坪倉監督のスタンダードだという(写真は00年の石川)【(C)J.LEAGUE PHOTOS】

――まずは坪倉監督のキャリアを簡単に教えてください。


 僕自身、日産(自動車)時代のマリノスジュニアユース、ユースで育ち、プロにはなれずに大学に行きました。でも、「このままここにいても……」と大学1年生のころ、考え始めた結果、「やめよう」と。大学にはマリノスのスポーツ推薦で行っていたので、殴られるのを覚悟で(笑)、謝りにいきました。マリノスからは「もしサッカーをやりたかったら、いつでも来い」と言ってもらいましたが、すぐになびくわけにもいかないし、アルバイトをしたり、友達と遊び回ったり、サッカーから離れた生活を送って、違った人生を探ろうなどと思っていたのですが、半年くらいしか持たなくて。


――やっぱり、サッカーに関わりたい、と。


 マリノスに行ってそう話したら、当時のユースの監督さんがジュニアユースの監督に「坪倉が働くって言うから、面倒見て」と。「今日からですか?」と言ったら、「やるんだろ?」と(笑)。そこからスクールコーチプラス、ジュニアユースのアシスタントでスタートしました。


 当初は理想もなく、とにかくサッカーに関わって何かしらできればいいと思っていました。その日その日でクッタクタ。でも、指導者の方々が「こういったことを考えながら日々やっていたのか」という驚きもあり、とんでもない選手たちがいるぞというのも痛感させられて、少しずつ面白くなっていきました。結果、マリノスでもう20年(笑)。最初はアルバイト契約、2年目に当時の育成ダイレクターだった木村浩吉さん(現・JFA育成年代代表チームダイレクター)に「来年からユースのコーチをやれ」と言われて、「え、無理ですよ」と(笑)。


――選手と4歳くらいしか違わないわけですよね。


 自信はまったくありませんでした。でも、今にして思えば、あれがターニングポイントでした。選手もフリューゲルスと合併したこともあって(1999年)、ものすごくポテンシャルの高い選手がそろっていました(石川直宏、坂田大輔、田中隼磨ら)。あの当時の選手たちはいまでも自分の中のスタンダードになっていて、「あのラインを超えたい」という基準です。彼らと出会えたのは、本当に財産ですね。

川端暁彦
川端暁彦

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』を始め、『スポーツナビ』『サッカーキング』『サッカー批評』『サッカーマガジンZONE』『月刊ローソンチケット』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。2014年3月に『Jの新人』(東邦出版)を刊行

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