横浜FMの育成スペシャリストがベルギーへ 自身の成長への渇望と、課題意識を胸に

川端暁彦

自分で育っていく力が一番大切

「長く同じようなカテゴリーを1つのクラブで見ていることが自分の強み」と坪倉監督は語る。15年8月には日本クラブユース選手権(U−15)で優勝 【川端暁彦】

――育成の指導者の喜びはやはり巣立っていく選手たちの存在ですか?

 指導者だけで選手を育てられないことは分かっているつもりです。自分で育っていく力が一番大切です。ただ、関わる以上は何かしら選手に対して良いものが身に付くようにやっていきたいじゃないですか。自分が関わった中で本人の努力やいろいろな刺激によって育っている選手たちがいます。やっぱり、Jリーグや上のレベルで彼らを見るのはうれしいですよね。

 最初にユースでアシスタントをやったときも、大橋正博や石川直宏が高校生、プロ1年目でデビューして、当時はスマホもないので、彼らが出た次の日の朝早くコンビニに行って、スポーツ新聞を見て、「載ってる!!」と(笑)。うれしいから欲も出てきて、「こういったところは通用しているな。でも、ユースのときにもっとこうしていれば良かったんじゃないか」とか考え始めますよね。キリがないのだけれど、楽しいですよね。

――そうやって20年、育成の指導者をやってきた坪倉さんが、今後20年でより良い指導者になるために欧州へ行くわけですね。

 早くから指導者を始めて、長く同じようなカテゴリーを1つのクラブで見ていることが自分の強みだと思います。「日本の育成の現状の良いところも悪いところも全く知らない人がポンと行っても仕方がないから」とは言われました。ちょうど「ここから自分がより成長するために、どうしたらいいのかな」と思っていましたから、「ラッキーだな」とも感じています。迷ったりはしなかったですね。

――短期ではなく1年となります。

 むしろ、自分の中では最低1年が絶対条件でした。4年前くらいに、いま山形でプレーしている汰木康也を連れて、2週間くらいリヨンのU−18に行きました。普通の研修よりはチームの中にいましたが、まだ完全にお客さん。トレーニングも見られるし、リヨンのU−21チームがフランスリーグの4部に所属していて、アウェーに2時間くらいかけてバスに乗って一緒に見にいくという経験もさせてもらいました。言葉の問題もありましたが、やはりよそ者にはそこまで真剣に答えないんです。

 でも、今回は1年間という時間があります。自分次第だとは思うんですけれど、良い関係を作って、信頼できる人間として見られるようになりたい。1年いることで見えるものは、きっとあると思っています。

欧州は1試合に懸けるテンションがまるで違う

坪倉監督は自身が「成長したい」という渇望を持ち、欧州でのチャレンジに挑む 【スポーツナビ】

――ヨーロッパと日本で育成年代のチームで何か違いは感じますか。

 まず、1試合に懸けるテンションがまるで違う。逆に日本の育成年代の“競争心”が低下しているんじゃないかとも感じています。自分の目標に対するパワーが薄い。海外のチームと試合をすると、そこですごく差が出ます。リヨンに行ったり、短期でバルセロナのU−15チームを見たことがありますが、練習のメニューなどはそう変わりません。日本の指導者は熱心に(海外のメソッドを)取り入れていて、そうビックリする練習はないんです。

 でも育成の仕組み、選手の発掘から始まって、ある意味“作為的に育てて”、どうデビューさせて、そしてどうクラブにお金を残させるか。そういう一連のデザインは大きく違うのではないでしょうか。17〜19歳でデビューさせ、一度他リーグに行かせて鍛えるといったプランニングがしっかりしている印象があります。そういうところも探っていきたいですね。

――日本だと「自分を売る」という意識がないですよね。

 日本人の団結する力は良いところだと思いますが、みんなと同じが心地いいのではなく、人と違うものを出してやろうというパワーは、以前よりも低下しているのではないかという危惧(きぐ)は僕らも持っています。

――それこそ坂田選手たちの世代は怖いくらいにギラギラしていました。

 頻繁にけんかしていましたからね(笑)。学年問わず、場所問わず。全日本ユース選手権で大久保嘉人のいる国見(高校)とやったときも、金子勇樹と田中隼磨が「後半はこうだろ!」と。スタッフも2人の要求や言い合いに入っていけないくらいのパワーでやっていました。本当にここに懸けるんだという意欲が、少なくなっている。僕が経験を積んで、見る目が厳しくなっているというのもあると思いますが、1人1人の試合に懸けるパワーが物足りないのは否めません。

――社会背景もあると思うので、難しい問題です。

 でも今回、アンデルレヒトに行ったら、「まずお前、誰だよ」となると思います(笑)。「日本人にサッカーが教えられるの?」と言われるでしょう。でも、その状況から1人の指導者として認められるかどうかは逆に楽しみ。再度そこからスタートし、指導者としての構築を自分で見直したい。時代や世の中のせいだけにするのではなく、実は自分たち指導者の問題なのではないかと最近感じています。新たに成長したい。人として幅を広げたいし、深みも持ちたい。いろいろな味を出したい。育成には、もっといろいろな可能性があるはずです。この1年を、単に行っただけにするつもりは毛頭ありません。

 坂田、田中、栗原勇蔵、榎本哲也らキラ星のごとき選手をそろえた00年の横浜FMユースは自分にとって原点のようなチームで、坪倉監督と顔見知りになったのもそのときのこと。あれから16年を経て、日本サッカー界の成長が頭打ちになってしまっているのは否めない。ただ、育成の現場に携わる指導者たちの“熱”が衰えたなんていうことはなく、坪倉監督は話すたびにそのことを実感させてくれる指導者だ。

 20年にわたって育成年代の指導に携わったスペシャリストながら、まだ40歳。このインタビューを通じて、彼自身が「成長したい」という渇望をなお持っていることが見えたことが収穫だった。誰よりも“育成の現場”を愛し、その仕事に対して誇り高く取り組んできた坪倉進弥ならば、きっと欧州の現場から日本サッカーにとって価値あるものを持ち帰ってきてくれることだろう。

2/2ページ

著者プロフィール

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』をはじめ、『スポーツナビ』『サッカーキング』『フットボリスタ』『サッカークリニック』『GOAL』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。近著に『2050年W杯 日本代表優勝プラン』(ソル・メディア)がある

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント