伊調馨、発揮した土壇場の底力 4連覇は苦戦したからこそ価値がある
レスリング史上初の快挙
金メダルにキスしながら満面の笑みを浮かべる伊調 【写真:田村翔/アフロスポーツ】
2016年8月17日(現地時間)は日本レスリング界にとって記念すべき1日となった。この日、開催されたリオデジャネイロ五輪・女子レスリングの全階級で金メダルを獲得したのだ。もちろん史上初の快挙である。
帰路、ある関係者は鳥肌が立ったと驚きの声をあげていた。
「柔道がたくさんメダルを取った大会でレスリングは取れないというジンクスがあった。今日はそれを打ち破ったことになりますよ」
筆者も3人目の土性沙羅(至学館大)の勝利が確定した瞬間、頭の中が真っ白になり、思考が停止してしまった。スポーツライターという立場上、目の前で起こっていることは冷静に見極めなければならないが、不覚にも興奮しすぎて何が何だか分からなくなってしまったのである。
中でも特筆されるべきは、女子アスリートとして史上初となる伊調馨(ALSOK)の五輪4連覇だろう。レスリングはルール変更が激しく、時代によって闘い方も変わってくる。前日まで開催されていた男子グレコローマンでは、ロンドン五輪のメダリストがことごとく敗退するのを目の当たりにしていただけに、伊調の活躍は別格としか言いようがなかった。
戦前は不安視する声も
年頭に首を痛めるなど、万全ではない中で迎えた大舞台だった 【写真:ロイター/アフロ】
いくつか当てはまる項目がある。今年32歳になった。現役生活を長く続けているのだから、ケガがないといったらウソになる。実際、年頭には首を痛めていた。しかも、とことん強さにこだわる伊調は新スタイルを模索中だった。
今年1月に出場したヤリギン国際大会でオーコン・プレブドルジ(モンゴル)にまさかのテクニカルフォール負け。13年近く負け知らずだっただけに衝撃が走った。いまだからこそ明かせるが、筆者の周囲の予想は真っ二つに割れていた。「伊調だけは大丈夫。優勝するでしょう」と楽観視する人もいれば、「伊調だけは心配」と不安視する人もいた。
初戦の相手はアフリカ選手権を8度制しているマルワ・アマリ(チェニジア)。渋いダミ声の男性アナウンサーは「3度五輪チャンピオンになり、10度世界選手権で優勝している伊調馨〜」とコールしてくれたまでは良かったが、その直後、隣のマットにブラジル代表が登場すると、場内は狂わんばかりの「ブラジル」コール一色で染まってしまった。
五輪の金メダリストより母国の代表。今回ブラジルは国別のメダル獲得数で10位を目標にしていたが、思うように取れていない。そのフラストレーションが爆発してしまったのだろうか(ブラジルは柔道や柔術は盛んなお国柄ながら、レスリングは完全に後進国)。結局伊調はテクニカルフォール勝ちを収め幸先いいスタートを切ったかに見えたが、少なくともその時点で主役が彼女でないことは確かだった。
その後は「合い言葉は打倒・伊調」と言わんばかりの徹底した伊調対策に苦しまされた。準々決勝で激突したエリフジャレ・エシリルマク(トルコ)は片手の掌で伊調の額を触るようにして懐に入らせない。顔を制することで伊調との距離を取るとともに、相手の動きを封じていたのだ。その手を払うようにして伊調がタックルに行けば、フワリとかわす場面も目立っていた。
準決勝で当たったユリア・ラトケビッチ(アゼルバイジャン)は試合開始早々、勢いよく伊調をはたいてきた。しかも、立て続けに二度も。故意にしか見えなかった。そこまでしても伊調に勝ちたかったのだろう。筆者はロンドン五輪で対戦相手に噛みついた選手がいたことを思い出した。レスリングは紳士淑女のスポーツといわれているが、五輪のメダルがかかっているともなれば、そうも言っていられなくなる。