川崎が示したサッカーを通じてできること 復興支援と『高田スマイルフェス2016』

宇都宮徹壱

継続的な支援が実現させた「5年ぶりの3ショット」

震災の年に出会った少年たちと5年ぶりに再会。笑顔で記念撮影に応じる中村憲剛 【宇都宮徹壱】

 イベント当日の午前7時、川崎の全スタッフ32名、そして大勢の地元ボランティアが上長部に集合した。総勢200人近くはいただろうか。天野部長のあいさつのあと、全員で円陣を組んでから、それぞれの持ち場に分かれての作業がスタートする。ステージ、アトラクション、物産、物販、フィールド、などなど。それ以外にも、総合案内所、メディア・来賓受付、選手や審判やマスコットの控室、救護、授乳室、そして運営本部。持ち場は多岐にわたるが、いずれの部署もシステマティックに粛々と準備を進めていった。

 確かに、川崎ほどイベント慣れしているクラブは、ほかにないだろう。しかしながら、彼らだけでこれだけのイベントを仕切ることは不可能であり、地元のボランティアの協力は不可欠だ。私が感心したのが、彼らが単なる「お手伝い」感覚ではなく、当事者意識をもってイベントに関わろうとしている姿勢が明確だったことだ。その理由について、地元との交渉窓口となっていた川崎のクラブスタッフ、羽田剛さん(サッカー事業部運営グループ)はこう語る。

「やっぱり継続的に交流を続ける中で、お互いの関係性が強まっていったことが大きかったと思います。実は今年の1月から5月まで、毎月1回のペースで実行委員会を高田で開催しました。その間、意見のぶつかり合いもありましたが、最後はみんなで『成功させよう!』という感じで、同じ方向に向かっていくことができました。もちろん、大変さを感じることも多々ありましたが、それ以上にやっていて楽しかった、というのが正直なところです」

 川崎と陸前高田、両者の継続的な交流の成果を示すエピソードを紹介しておきたい。フェスの合間に行われた川崎の選手たちによるサイン会で、2人の男子高校生が中村憲剛に「思い出の写真」へのサインを求めてきた。それは震災のあった年の9月、高田小学校を慰問に訪れたときに中村と一緒に撮った3ショットの写真であった。あれから5年。当時小学6年生だった彼らは、今は大船渡高校の2年生でサッカー部に所属しているという。「大きくなったなあ!」と驚きを隠せない中村は、少年たちとの5年ぶりの3ショット撮影に快く応じてくれた。そして撮影の間、「支援を続けることって、こういうことだよね」と自分に言い聞かせるように語る。地道な支援の積み重ねが、実に明快な形で出現した瞬間であった。

川崎の継続的な活動は他のクラブへ波及する?

イベント終了後、地元のファンとハイタッチする川崎の選手たち。大久保嘉人もこの表情 【宇都宮徹壱】

 今回の高田スマイルフェスのメーンイベントは、14時にキックオフとなった『スマイル・ドリームマッチ』である。ピッチ上に立った選手は、両チームともに前日のJ1リーグに出場していない選手のみ。試合は30分ハーフで行われた。それでも、4人の審判団をそろえ、両クラブのサポーターがいつもどおりの応援をし、マスコットのふろん太とベガッ太も会場で愛嬌(あいきょう)を振りまいていた。ほとんどJリーグと変わらない状況が、上長部のグラウンドに再現されたことに、普段なかなかスタジアム観戦ができない陸前高田の人々が大いに盛り上がったことは言うまでもない。

 今回のドリームマッチ実現については、川崎と陸前高田のたゆまぬ努力に加えて、対戦相手となってくれた仙台の協力についても目を向けるべきであろう。これまで支援活動を続けてきた川崎と、自身も被災地のクラブであった仙台とでは、当然ながら陸前高田に対するスタンスに温度差があったはずだ。結局、イベントがホームゲーム翌日ということもあり、選手はぎりぎりの14名しかそろえられなかったものの、トップチームのスタッフは2人を除いて全員が参加。仙台の運営・広報部部長の辻上裕章さんは「今回はこれが精いっぱいでしたね」と語りながら、こう続ける。

「震災後にJリーグが再開した最初の試合が、アウェーの川崎戦でした。そんなご縁のある川崎さんと今回、こうしたイベントを一緒にやらせていただいて、サッカーを通じてできることはいろいろあるんだなと気付かされましたね。今年から仙台でも、社長直下で復興支援室という部署ができました。今後は、川崎さんの支援活動をいろいろと参考させていただきながら、われわれも独自の活動を行っていこうと思っています」

 今回のイベントの公式入場者数は2773名。イベントの協賛は企業・個人併せて168社。そしてイベントのスタッフはボランティアを含めて500名以上を数えた。これほどの大規模なイベントを開催するには、膨大な準備期間と労力、そして原資が必要だったはずだ。加えて、スタッフはただでさえ本業が激務だし、現場の選手も試合翌日は休みたいというのが本音だろう。

 にもかかわらず、川崎は5年にわたって『Mind−1ニッポンプロジェクト』を継続し、それは大規模なフェスという形での集大成を実現させた。と同時に、川崎のこれまでの活動の一部は、ドリームマッチの対戦相手である仙台にも引き継がれ、さらなる広がりを見せるかもしれない。「サッカーを通じてできること」──その可能性を極限まで追求した川崎の試みは、ピッチ上での成果と同じくらい評価されてよいと思う。

2/2ページ

著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント