「美しく勝利すべき」だが、まずは勝利 スペイン暮らし、日本人指導者の独り言(2)
かつては理想主義的にベストを目指していた……
よく考えると、バルセロナですらリスクの大きい場面ではGKは大きく蹴っているのだが、当時はすっかり原理主義者だったので、よりピュアに理想主義的にベストを目指していた。実際に出来上がったのは美しく勝利せず、美しく負けるチームだったのだが、それは崇高な目標に続く試練の道だと捉えていた。
が、その考えが変わったのは、連盟のチームではなく、スクールのチームを率いるようになってからだ。スクールの子供たちはより未熟で、美しく勝利する目標はさらに遠くなった。連盟のチームに入れず渋々スクールに来た、そんな子供たちに何を教えられるのか? まずは勝つことではないのか? 劣等感や挫折感を払拭(ふっしょく)するには勝利が一番の薬であり、その方が彼らのためではないのか?
スペインの子たちは生意気でタフだ、と前回のコラムで書いた。大人の言うことを聞かない、という意味ではタフなのだが、同時に、脆さも持ち合わせている。こちらで暮らして分かったのは「スペイン人はメンタルが弱い。日本人の方が強い」なのだが、タフで弱い子、というのは、以下のような仕組みで生まれる。
スペインでは子供は非常に大事にされる。王様のように育てられるから生意気である。が、怒られた経験がないから同時に打たれ弱い。練習では良いのに試合で力を出せない子が大勢いる。特にアウェーや体格の大きいチームと試合する時に顕著になる。理由はただ一つ、ビビッているのだ。
そのビビりを隠すために言い訳をする。日本だと子供の時から「言い訳するな」と教えられるのだが、スペインではそうではない。足が痛いとか、グラウンドが悪いとか、審判が贔屓(ひいき)しているとか、相手が年上だとか……。ビビッているから試合には当然、負ける。そこまではいい。だが、言い訳をして“自分は悪くない”と逃げるのは、監督として許せない。責任回避は努力回避に直結する。試合に負けた時こそ反省し、よりハードな練習に励まなくてはならないのに。
「試合に負けてもいいが、負け犬になるな」
「努力しろ、そうすれば勝てる」と厳しい練習を課し続ける。言葉に説得力を持たせるためには、実際に勝ってみせなくてはならず、相手があることだからそれは簡単ではないのだが、そこで知恵を絞るのは私、監督の仕事。そのメソッドに従って努力をするのが子供の仕事だ。「努力→負ける→さらに努力→勝つ」の繰り返しで、子供たちがより良いサッカー選手となり、成功体験を持たせて1シーズンを終えられれば最高だ。
2015年の最終試合は4−3で勝利することができた。それも0−3になっても決して諦めず、勝利を信じて逆転するという、最高の内容のものだった。こういう勝利こそ、負け犬根性から勝者のメンタルへ転換しつつあることの証明なのだが、クリスマス休暇から帰って来れば元の木阿弥、というのも子供にはよくあること。手綱を緩めず、年明けも突っ走りたいと思う。
現在3勝3敗、8チーム中4位。このチームは昨季のチームのように「美しく勝利する」高みにはたどり着けないかもしれないが、まず初めの一歩は踏み出せた。