やまびこ打線を生んだ蔦野球の大改革 高校野球 歴代最強校はどこだ?(1)

楊順行
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さわやかイレブンを率いたのち、強力打線を作り上げた池田高・蔦監督 【写真は共同】

 6月20日に沖縄と南北海道で地方大会が開幕してからまもなく2週間。あす4日には東東京、岐阜、鹿児島などでも熱戦の火ぶたが切られる。今年は、全国高等学校野球選手権大会の前身にあたる全国中等学校優勝野球大会の第1回大会(1915年)が行われて100年。その長い歴史上には、多くの高校野球ファンを魅了したあまたの強豪校が存在する。高校野球100年の節目を機会に、ここでは歴史を彩ってきた強豪校の強さ・魅力に迫っていく。一体、歴史上最も強い高校はどこだろうか?

 第1回は1982年夏、83年春を連覇、83年夏もベスト4まで進んだ徳島県立池田高校をプレーバックする。

打撃の記録を塗り替えた“やまびこ打線”

 擬音語で言えば「グァキ〜ン」か、「ギュイ〜ン」か。とにかく、快音が鳴りやまない。そう、まるでその異名・やまびこ打線のごとく、だ。

 82年8月20日。第64回全国高等学校野球選手権の決勝は、初回から池田高の強力打線が爆発する。2死走者なしから江上光治、畠山準(元横浜など)、水野雄仁(元巨人)の3連打を皮切りに1四球を挟む6安打で、広島商高から一挙6点だ。エース・畠山の力量からして、この時点で池田の初優勝は決まったといっていい。

 池田打線は、その後も攻撃の手を緩めない。6回には無死から、畠山の2ランを含む7連打で大量5点を挙げ、決勝としては戦後最多タイ(当時)の12点で、衝撃的な優勝を飾る。“攻めダルマ”と呼ばれ、独特の風貌で親しまれた蔦文也監督(甲子園名物の蔦とも重なるのがまた、いい)の指示は、とにかく「打て打て」。なにしろ日常の練習では、キャッチボールすら、ろくにせずにフリー打撃に入るほど、打つことが、ボールを遠くに飛ばすことが大好きなのだ。

 池田は準々決勝でも、早稲田実業高(当時は東東京)から14得点し、5季連続出場を果たした甲子園のアイドル・荒木大輔(元ヤクルトなど)を粉砕しているが、この試合では水野が荒木から1本、救援した石井丈裕(元西武など)から満塁アーチと、2打席連続のホームラン(史上4人目)を放っている。チームとしても大会を通じた数字は出色で、6試合のうち全員安打が3試合、早稲田実業高戦では史上6チーム目の1試合3本塁打。決勝の7連打、チーム大会通算7本塁打、通算安打85はいずれも当時の大会記録だった。
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著者プロフィール

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。高校野球の春夏の甲子園取材は、2019年夏で57回を数える。

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