日本男子が保ったリレー伝統国の面目 世界リレー銅メダルで五輪出場権を獲得
08年北京五輪以来のメダル獲得
世界リレー男子4×100メートルで、日本男子が銅メダルを獲得。来年のリオ五輪出場権を手に入れた 【写真は共同】
アンカーを走った谷口耕太郎(中央大)は、満面の笑顔でゴール後の気持ちを素直に語ったが、恐らくほかの選手も、そして関係者も同じような反応だったのではないだろうか。「まじで?」と――。
バハマ・ナッソーで行われた陸上の世界リレー初日、男子4×100メートルリレーで日本チームは、米国、ジャマイカに次いで3位に食い込み、2008年北京五輪以来、同種目では2度目となる世界大会でのメダル獲得を達成。同時に来年行われるリオデジャネイロ五輪の出場権も獲得した。
4位以下に大差をつけてゴールすると、大瀬戸一馬(法政大)、藤光謙司(ゼンリン)、桐生祥秀(東洋大)、谷口の4人はゴール付近に集まり、喜びを爆発させた。関係者から日の丸を渡されると、笑顔で身にまとい、カメラマンたちの撮影に応じた。
表彰式では、2位に終わって呆然(ぼうぜん)とするジャマイカのウサイン・ボルトを尻目に、日本選手たちは喜びの表情。国際陸上競技連盟のラミン・ディアク会長からメダルを受け取ると、ガッツポーズをした後に、あふれんばかりの笑顔でメダルの重みを確かめた。
銅メダルにエースの桐生は「うれしいしかないですね」。ほかの選手もうれしさで頬が緩みっぱなしだった。
主力メンバーを欠く苦しい戦い
桐生は予選後このように話していたが、決勝の後には「取りたいとは言いましたが、取れるとは思っていませ……、いや、思っていました(笑)」と言うように、万全を期して、取るべくして取れたメダルではなかった。
日本男子短距離チームは、シーズン序盤にケガ人が続出する異例の状況。山縣亮太(セイコー)は故障のために世界リレーのメンバー選考レースだった4月の織田記念陸上(広島)を不出場。飯塚翔太(ミズノ)は出場したものの、春先の故障が影響したか、200メートルのA決勝に残れなかった。また、織田記念陸上の100メートルで桐生に先着したケンブリッジ飛鳥(日本大)、アジア大会100メートル銅メダリストの高瀬慧(富士通)も代表辞退と、主力メンバーを欠く布陣で臨んでいた。
しかもバハマに現地入りしてからの練習で、1走に予定されていた塚原直貴(富士通)が足に違和感を感じ、急遽、補欠の大瀬戸に代わるというアクシデントもあった。
予選通過さえ厳しいのではないか、と思われていたが、実際、予選では強豪米国に次いで2位に入ったものの、タイムは38秒73と全体7番目の記録。1レーンで厳しいカーブの影響もあったのか、タイムは伸び悩んだ。
決勝では見違える走りに
「外側8レーンのブラジルを食ってやろうと思っていた」と桐生は話したが、1走の大瀬戸が抜群のスタートを見せ、80メートルほどでブラジルに並ぶ快走。ジャマイカや米国にも遜色ないすばらしい走りで日本チームの流れを作り2走の藤光へ。
藤光は、米国のエース、ジャスティン・ガトリンやジャマイカにはやや追い上げられたものの、しっかり3位を死守。3走の桐生は、「ほかの選手は全然気にならかなった」と言うように、自分のレースに集中し、キレのある走りでカーブをガツガツと攻めた。
そしてアンカーの谷口は、「3番でバトンが来るのと分かった時は『まじで?』と思いましたが、自分の走りをするしかないと覚悟を決めて走りました」という言葉通り、のびのびとした走りで3位でフィニッシュラインを駆け抜けた。
8位以内に入ってリオ五輪の出場権を獲得するという最低限の目標を達成しただけではなく、日本の陸上史上2度目となるリレーでのメダル獲得という結果に、選手や関係者は喜びを爆発させた。