高瀬慧がつかんだ「自分の走り」 日本短距離チームの軸を目指す今季

折山淑美

200メートルで好記録をマーク

桐生の「9秒87」でわいたテキサス・リレー。同じく200メートルで好記録を出した高瀬慧に、今シーズンに懸ける思いを聞いた 【スポーツナビ】

 桐生祥秀(東洋大)が追い風3.3メートルの参考記録ながらも、9秒87を出して注目された3月28日のテキサス・リレー(米国・オースティン)。その直後の200メートルでも、昨年のアジア大会100メートル銅メダリストの高瀬慧(富士通)が、追い風参考記録ながら日本記録の20秒03に迫る20秒09の好記録で走っていた。

 日本陸上競技連盟(陸連)の苅部俊二短距離部長も「追い風4.5メートルだったが、追ったのは直線だけで、スタートから前半は向かい風と横風で難しい条件。そのうえトラックは米国スタイルの直線が長くカーブがきつくなっているタイプ。それを考えるとかなりいい走りだったと言える」と評価する。

 高瀬自身、今シーズンはフォームを少し改良していて、その手応えも十分に感じている。その成果を初戦から見せる結果となった。

「日本の顔」になるのが嫌だった

アジア大会の100メートルでは銅メダルを獲得した。当時の短距離部長だった伊東浩司氏には「日本の顔にならなければいけない」と言われていた 【写真:ロイター/アフロ】

 2011年世界選手権(韓国・テグ)と12年ロンドン五輪では4×400メートルリレーに出場し、100メートルから400メートルまで走れるマルチスプリンターの高瀬。12年に就任して昨年まで男子短距離部長を勤めた伊東浩司氏には、「日本男子短距離界の顔にならなければいけない」と言われ続けてきた。「最初はそれが嫌だった」と話す高瀬だが、準決勝で10秒13の自己タイを出し、決勝は10秒15で3位に入った昨年のアジア大会を終えてからは、そう言われることにも慣れて、覚悟もできてきたと笑顔を見せる。

「アジア大会は、自分の中でも本当に自信になったレースでした。あの緊張感の中で自分のレースができたこともあるし、今まで積み上げてきたものが一気に自分の中に入ってきて、100メートルのレースの感覚が、あの瞬間でつかめたような感じでした。中国の蘇炳添選手に負けてしまったのは、まだ自分の弱さがあるところかなと思うけど、最後の気持ちの勝負のところでメダルを取れたのは大きかった。(昨年4月の)織田記念や(同6月の)日本選手権くらいの状態だったらメダルは取れていなかったと思うし、あの場では自分の気持ちの変化もあったと思います」

 高瀬は自分のことを筋肉が落ちやすい体質で、体が軽くなると走れなくなると話す。精神的に追い込まれると筋肉の減少量も増すといい、昨年5月の世界リレー(バハマ・ナッソー)のときはそんな状態だった。

 その上、アキレスけんを痛め、帰国後すぐに行われる日本選手権に向けては、練習がまったくできなかった。痛み止めを服用した上に焦りも出て、「こんな状態では勝てるわけがない」と自信も持てずに臨んだ。それでも200メートルは2位。派遣設定記録を突破していた3位の飯塚翔太(ミズノ)が個人種目での代表条件をクリアしたため、高瀬はリレー要員としてアジア大会代表に選ばれた。

 だが高瀬は、その後のヨーロッパ遠征で、調子をどん底まで落としてしまったという。
「そこでまた一から組み立て直そうと、夏からはアジア大会当日までのスケジュールをコーチと綿密に組み立てて、準決勝と決勝の当日にピンポイントで合わせたという感じでした。メンタルトレーニングを受けて脳の勉強もしたり、自分のプラスになりそうなことはいろいろと取り入れました」

ロンドン五輪で変化した意識

ロンドン五輪では200メートルで準決勝進出。4×400メートルリレーのメンバーにも選ばれていた 【写真:ロイター/アフロ】

 そんな高瀬が頭角を現したのはここ数年のことだ。高3のインターハイは、200メートルと400メートルで出場したが、ともに準決勝敗退だった。順天堂大4年のときには、400メートルで関東インカレ優勝と日本選手権5位の成績を残したが、成長したのは11年に富士通へ入ってからだ。

 社会人1年目の11年に、東日本実業団選手権で200メートルの同年日本ランキング2位となる20秒53で優勝し、12年の日本選手権200メートルでは第一人者の高平慎士(富士通)や、10年世界ジュニア選手権優勝の飯塚らを抑えて20秒42で優勝。ロンドン五輪代表の座を手にしたのだ。
「本当は以前から100メートルをやりたい気持ちはありました。でもケガが多かったし、世界の選手と比べても体が細くて中距離選手くらいの体型だったので、自分の中では勝負できないというイメージがあったんです。それに怖さもあって……。横一線に並んでスタートする緊張感があまり好きではなかったから、200メートルと400メートルを主体で、という気持ちになっていて。その中で『何で世界に勝負するか』と考えたとき、200メートルが一番近いと思ったんです。世界大会でも、準決勝で20秒2台を出せば、決勝へ残る可能性はあると思うので」

 その世界への本格的な第一歩がロンドン五輪だった。200メートルとともに4×400メートルリレーのメンバーになった高瀬は、200メートルでは準決勝まで進んだ。

 だが、その翌日に4×400メートルリレー予選というスケジュール。気持ちを整えられないままでリレーに臨むことになり、「こんな状態で走っていいのだろうか」という思いにとらわれた。
「あの時も本当は4継(4×100メートルリレー)にも出たかったし、日本選手権の200メートルで優勝しているのになんで出られないんだろう、という疑問もありました。それもあって『100メートルにも出なければいけないんだ』と強く感じて。それとともに個人のレースでも、200メートルを走るためには100メートルのスピードが必要だと感じました。そこから本格的に100メートルをやっていこうと思いました」

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著者プロフィール

1953年1月26日長野県生まれ。神奈川大学工学部卒業後、『週刊プレイボーイ』『月刊プレイボーイ』『Number』『Sportiva』ほかで活躍中の「アマチュアスポーツ」専門ライター。著書『誰よりも遠くへ―原田雅彦と男達の熱き闘い―』(集英社)『高橋尚子 金メダルへの絆』(構成/日本文芸社)『船木和喜をK点まで運んだ3つの風』(学習研究社)『眠らないウサギ―井上康生の柔道一直線!』(創美社)『末続慎吾×高野進--栄光への助走 日本人でも世界と戦える! 』(集英社)『泳げ!北島ッ 金メダルまでの軌跡』(太田出版)ほか多数。

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