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ファンの善意で立ち直った地域密着クラブ
ハンドボール・琉球コラソンのストーリー
ハンドボール日本リーグで創設8年目にしてプレーオフ進出を果たした琉球コラソン
ハンドボール日本リーグで創設8年目にしてプレーオフ進出を果たした琉球コラソン【写真提供:琉球コラソン】

 3月22日、男子ハンドボールの日本一を懸けた戦い「日本リーグプレーオフ」が終了した。決勝では大同特殊鋼が大崎電気を破り、4年連続18回目の優勝を果たした。


 しかし、この結果を知る人はどれほどいるのだろうか。テレビなどのメディアで伝えられることは少なく、スポーツ新聞でさえ小さな記事で結果を知らせるだけだった。


 これがマイナースポーツ、ハンドボールの現状である。


 そんな中で今シーズン、あるチームの飛躍に注目が集まった。実業団がそろう男子リーグで唯一のクラブチーム、沖縄の「琉球コラソン」が初のプレーオフ進出を果たしたのだ。

男子ハンドボールの厳しい現状

宮崎大輔(左)らも出場する「日本ハンドボールリーグ」だが、毎回の観客は500人に満たないこともある
宮崎大輔(左)らも出場する「日本ハンドボールリーグ」だが、毎回の観客は500人に満たないこともある【写真:アフロスポーツ】

 男子ハンドボール界は、今、正念場の時期と言える。


 1988年のソウル大会以来、五輪出場を逃し続け、昨年のアジア大会では過去最低の9位惨敗。ほとんどの競技にとって五輪が注目度の最高峰である中で、20年以上も出場から遠ざかる男子ハンドボールの人気低下は仕方のない現実と言える。


 国内トップリーグ「日本ハンドボールリーグ」の試合に訪れる観客も、毎回500人に満たないのがほとんどだ。


 しかし2月28日に行われた琉球コラソンのレギュラーシーズンホーム最終戦には、リーグに記録が残る中では過去最多となる3150人の観客が集まり、会場の沖縄県立武道館は満員となった。


 そしてチームはリーグ参戦7季目にして、レギュラーシーズン4位(9チーム中)に入り初のプレーオフ進出。準決勝でレギュラーシーズン無敗の大崎電気に敗れたが、会場の東京・駒沢体育館には沖縄からも多くのファンが駆けつけた。

参戦当初は練習場所さえ確保できず……

 元々沖縄は高校までハンドボールが盛んな地域で、昨年は那覇市の興南高校男子チームが選抜・総体・国体の高校三冠を達成している。だが、その土壌だけでチームがうまくいくというものではない。


 日本ハンドボールリーグは、実業団チームが主体のリーグである。今季の男子は9チーム中8チームが実業団という構成で、母体企業を持たない唯一のクラブチームである琉球コラソンは、予算規模や練習環境などあらゆる面で他チームに大きく劣る。能力のある選手は、大学進学のため沖縄を離れ、大学卒業後は練習環境や雇用条件の安定する実業団に進むのが通常の流れである。


 琉球コラソンが生まれたのは2007年11月。沖縄出身でヨーロッパでもプレー経験のある元日本代表選手が沖縄に戻り立ち上げた。しかし、マイナースポーツのハンドボール、さらに経営ノウハウのないスポーツ選手が運営するチームに、当初協力するスポンサー企業は少なかった。


 経営が不透明なチームにリーグ主戦級の選手はなかなか集まらない。それでもハンドボールを続けたいと集まったメンバーが、日中は生活のためハンドボール以外の仕事をし、夜に集まって練習をした。当時は練習場所さえ確保できず、体育館を借りる資金もないため、運動場や時には公園を使って練習を行う日々だった。


 08年日本リーグに初参戦するものの実業団チームと勝負できるわけもなかった。そして集客のノウハウもないチームは、がら空きの体育館で試合を続けることになる。


 そして、スポンサー収入とチケット収入が大きな収入源であるクラブチームの経営は、すぐに立ち行かなくなった。09−10年のシーズン途中、チームを立ち上げた元代表選手がチームを去り、選手たちに残されたのは、運営会社の代表印と残額50万円に満たない預金通帳だけだった。

3倍に増えたファンクラブ会員のおかげで存続

沖縄のファンの支えもあり、窮地を脱した琉球コラソン。選手たちを助けたいというファンの善意にスポーツ好きな沖縄県民の県民性が垣間見える
沖縄のファンの支えもあり、窮地を脱した琉球コラソン。選手たちを助けたいというファンの善意にスポーツ好きな沖縄県民の県民性が垣間見える【写真提供:琉球コラソン】

 シーズン半ばで経営のトップが去った後は、遠征費などを選手全員でかき集め、残りの試合を何とか乗り切った。


 しかし琉球コラソンのピンチは続く。


 10−11年シーズン、急場をしのぐため山梨県出身の水野裕矢が選手兼任という形でゼネラルマネジャー(GM)に就いたが、代表がいなくなったチームのスポンサーは前年の20社あまりから8社に激減。遠征費もままならず選手たちは手出しで遠征に出ることになる。心身共に疲弊しながら競技を続ける選手たちは、かすかな光を信じて進むしかなかった。


 ぎりぎりのところで彼らを救ったのは、その年のファンクラブ会員だった。


 選手達はチームの窮地を自身のブログで訴えた。するとそれを知った人々が続々とファンクラブ会員になり、その会員がまた新たな会員を誘った。その年のファンクラブ会員は450人と前年の3倍になり、この数字は今でもチームのシーズン最多会員数である。集まった会費は約300万円。窮地に立つ選手たちをなんとかしたいという善意が、チームを首の皮一枚で救った。


 そうして苦しいシーズンを終えた水野は覚悟を決めた。翌年、運営会社の代表取締役に就き、本格的に経営の立て直しに取り組み始めたのだ。

河合麗子
熊本県出身、元琉球朝日放送・熊本県民テレビアナウンサー。これまでニュース番組を中心にキャスター・リポーター・ディレクターなどを務め、スポーツ・教育・経済・観光などをテーマに九州・沖縄をフィールドに取材活動を行う。2016年4月の熊本地震では益城町に住む両親が被災した。

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