引き際の美学、たとえ“本籍”を失っても 野球選手の引退は淡々と、清々しく

鷲田康

松井引退会見、誇りと決断の重さ

2012年、松井は20年間の現役生活に別れを告げた。引退会見では吹っ切れたように淡々と語った 【写真は共同】

 2012年12月28日(米国時間27日、以下はすべて日本時間)。巨人、ニューヨーク・ヤンキースなどで20年間の現役生活を送った松井秀喜が現役引退を発表した。

「僕のいいプレーを期待してくれている方々に、本当に命懸けのプレーをお見せできるかどうか疑問だった」

 松井は会見でバットを置く決意を語った。吹っ切れたように淡々とした言葉には、むしろ20年間の現役生活に対する誇りと、そして最後の決断の重さが込められているように思えた。

 日本で10年、メジャーで10年。ただメジャーの最後の数年間は、決して平坦な道ではなかった。現役最後の年となった12年は開幕しても所属球団が決まらずに5月1日になってようやくタンパベイ・レイズと契約。しかし、わずか3カ月で解雇されてチームを去っている。

 09年にヤンキースでワールドシリーズMVPを受賞したのを最後に、決して華やかではなかった現役生活の末期。それでも松井はなお4年間、もがき苦しみながらもグラウンドに立ち続けたのである。

日本に帰る場所はない、だから

「もし、あのまま巨人でプレーをしていたら……」
 
 そう思ったのは翌年の5月5日に長嶋茂雄巨人軍終身名誉会長とともに国民栄誉賞を受賞し、その授与式と引退セレモニーを行った際のあいさつを聞いたときだった。

「もう2度と戻ることは許されないと思っていた」

 東京ドームのグラウンドに立って松井はファンに向けたあいさつで、心の奥底にしまってきた思いを吐露している。フリーエージェントとなって巨人からメジャー挑戦の選択をしたその時点から、松井は「裏切り者」という重い十字架を心の中で背負ってきたのだった。

 だから帰る場所は日本にない、とずっと思ってプレーをし続けてきた。それが一つ、所属球団が決まらなくても現役に固執し、最後まで選手としてグラウンドに立ち続けた理由だったのではないか。

長嶋引退、未練断ち切ったのは監督のイメージ

長嶋引退は伝説として人々の記憶に残る。その名セリフの裏には、激しい葛藤があった 【写真は共同】

「もし、あのまま巨人でプレーを続けていたら……もしかしたらもっと早くユニホームを脱いで、指導者への道を歩みだしていたのではないか」

 あいさつを聞いたときにフッと思った。

 そう考えた理由は拙著「長嶋茂雄最後の日 1974・10・14」の取材で松井の師である長嶋の引退を取材したからだった。

「我が巨人軍は永久に不滅です」

 この名セリフで知られる長嶋の引退劇。その裏では現役を続けたい選手・長嶋茂雄と、巨人一筋でプレーし、すでに次期監督就任が決まっていた組織人としての長嶋茂雄との、激しい葛藤があった。そのとき長嶋には明確に次のステップ、巨人監督へのイメージがあったからこそ、現役への未練を断ち切ることができたのである。
 
 ただ、松井の中ではあのころ、まだ巨人に戻ることが「許され」、そこで指導者として再出発するという明確なイメージはなかった。だから一人の野球人として、プレーを続けられる間はグラウンドに立ち続けるという思いだった。それが現役最後の数年間の真相だったように思うのである。

 これは松井に限られたことではない。

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著者プロフィール

1957年埼玉県生まれ。慶應義塾大学卒業後、報知新聞社入社。91年オフから巨人キャップとして93年の長嶋監督復帰、松井秀喜の入団などを取材。2003年に独立。日米を問わず野球の面白さを現場から伝え続け、雑誌、新聞で活躍。著書に『ホームラン術』『松井秀喜の言葉』『10・8 巨人VS.中日 史上最高の決戦』『長嶋茂雄 最後の日。1974.10.14』などがある。

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