引き際の美学、たとえ“本籍”を失っても 野球選手の引退は淡々と、清々しく

鷲田康

職人気質の工藤、桑田……腕一本で立つ

桑田(左)とイチローもまた、腕を頼りに移籍を繰り返す職人気質。最後まで現役にこだわる姿勢は共通する 【写真は共同】

 今年も北海道日本ハムの稲葉篤紀や金子誠、ロッテの里崎智也らが、現役生活に別れを告げてユニホームを脱いでいる。
 こうした選手たちに共通するのは、長い間一つの球団でプレーし、ある程度、自分の将来の姿が見えているということにある。

 その一方でシーズン終了直後に前DeNAの中村紀洋や前ヤクルト・岩村明憲ら、所属球団から戦力外通告を受けながらも、今も引退をせずに現役生活にこだわり続けている選手もいる。

 過去にも西武からダイエー、巨人、横浜と渡り歩いた工藤公康や、松井と同じように巨人からメジャーに渡った元ピッツバーグ・パイレーツの桑田真澄なども後者に属する引退劇だった。

 こうした選手に共通するのは、職人的気質で、組織ではなく、自分の腕一本だけでグラウンドに立ち続けてきたということだ。そうして、あるチームでの役割を終えたときには、また違うチームへと腕を頼りに移籍を繰り返していく。そのうちに自分の“本籍”を見失ってしまうのだ。その結果、属すべき組織がなくなり、明確な指導者としてのイメージ……例えば「自分はここで監督になる」というような将来像をはっきりとは結べなくなっている。だから現役の野球選手であることに、最後の最後まで固執することしか自分のアイデンティティーを見いだせなくなるのである。

メジャーで“本籍”を失ったイチロー

 今季、ヤンキースでプレーしたイチローもそういうタイプの選手と言えるだろう。イチローの場合は日本で所属したオリックスがポスティングを認めてメジャーに送り出し、移籍後も終始、良好な関係を築き続けている。

 現役を引退して本人が希望すればオリックスで将来的に監督になれる可能性も高いだろう。ただ、すでに日本でのプレーよりメジャーでプレーしている年月が上回っている。そのメジャーでは“本籍地”だったシアトル・マリナーズに別れを告げてヤンキースへ移籍。そして来季はまた違うチームでプレーする可能性を模索している。

 やはりどこかに“本籍”を失って、未来を想像しにくい環境があるのも確かなのである。

 これはどちらがいいということではない。プレーヤーとしての生き方の問題である。
 
 長嶋のように、球界を代表するスタープレーヤーは自らの選手としての欲求を捨て、チームのため、球界のために身を処すというのも野球人としては必要な振る舞いなのである。また、一流の技術を持つ選手が個にこだわり、ある意味、組織を捨てて自分を貫くのも、それもまたプレーヤーとしての一つの生き方である。

 松井が引退の会見で見せた吹っ切れた表情、長嶋があの引退セレモニーで語った名セリフ……だから現役にこだわりながら最後にユニホームを脱がざるをえない選手も、まだまだ体力的には余力があっても指導者となるためにユニホームを脱ぐ選手も、引退を発表するときの表情はどこか淡々として、清々しさに溢れているのである。

(敬称略)

『長嶋茂雄 最後の日。1974.10.14』

【文藝春秋】

 ついに語られた、引退の真相――。「私は今日、引退をいたしますが、我が巨人軍は永久に不滅です」。昭和49年10月14日、伝説のスピーチとともに、17年間の現役生活に幕を下ろしたミスターG・長嶋茂雄。その決断に至るまでの葛藤を、40年の歳月を経たいま、初めて明かす。

 この年の長嶋は、開幕からスランプに喘ぎ、日を追うごとに泥沼にはまっていくように見えた。そしてこの日、ついに監督の川上哲治は長嶋を先発メンバーから外す決断をし、それが長嶋茂雄最後の日へのカウントダウンのはじまりとなった。
「あの年はね、もうユニフォームを脱がなければならないという思いと、いや、まだまだ2、3年はできるという思いが毎日、毎日交錯した一年だった」
 少し遠くを見るような目で長嶋茂雄は「最後の日」へのカウントダウンを静かに語りだした。(序章より)

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著者プロフィール

1957年埼玉県生まれ。慶應義塾大学卒業後、報知新聞社入社。91年オフから巨人キャップとして93年の長嶋監督復帰、松井秀喜の入団などを取材。2003年に独立。日米を問わず野球の面白さを現場から伝え続け、雑誌、新聞で活躍。著書に『ホームラン術』『松井秀喜の言葉』『10・8 巨人VS.中日 史上最高の決戦』『長嶋茂雄 最後の日。1974.10.14』などがある。

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