羽生結弦が信じた力…困難乗り越え、頂点へ 震災から3年、金メダルまでの軌跡
日本男子初の快挙、転がり込んできた金
フィギュア日本男子史上初の金メダルを獲得した羽生。FSでは失敗もあったが、SPのハイスコアが偉業につながった 【Getty Images】
SPを終えた時点で2位のパトリック・チャン(カナダ)とは、わずか3.93点の差。FSでひっくり返される可能性は十分にあった。追ってくるのは世界選手権3連覇中の王者。プレッシャーは尋常ではなかったはずだ。
演技冒頭、今季は成功率が低い4回転サルコウで転倒してしまう。続く4回転トゥループはしっかりと着氷したが、「割と確率の高い」トリプルフリップでまさかのミス。この時点で金メダルは遠ざかったように思われた。その後は大きな失敗もなく最後まで滑り切ったものの、「全然体が動かなかった」と首を振りながら、苦笑いを浮かべた。
しかし続くチャンもミスを連発。4回転トゥループは手をつき、トリプルアクセルではバランスを崩した。そして最後のダブルアクセルも失敗し、178.10点とスコアが伸びない。この結果、羽生に金メダルが転がり込んできた。「今回はダメだと思っていました。後半になるにつれて足が重くなってきて、体力もなくなり、マイナスな気持ちも出てきた。その中でやるのも大変でした」と羽生。それでも勝因については「SPがあれだけできたのが大きかったと思います」と、冷静な面持ちで語っていた。
震災で学んだ「信じること」の大切さ
11年3月11日の東日本大震災では、練習拠点だったアイスリンク仙台と自宅が大きな被害を受け、それから4日間を避難所で過ごした。スケートをやめようと考えたこともある。「本当に生活することが難しくて、ぎりぎりの状態だったんです。でも水や食料を供給してもらって、たくさんの人に支えられていると感じた」。練習ができない時期、荒川静香をはじめとしたスケーターが開催するチャリティーアイスショーで各地を回った。そうした中で実感したのは「信じること」の大切さだった。被災者に向けた色紙にその言葉を記している。
「信じられるものがなくなりつつある。今の日本には、ひょっとしたらそんな雰囲気もあるかもしれません。でもやっぱり一人一人の持っている力を『信じること』そのものが大きな力になる。そう思いたくてこのメッセージを書きました」
同年7月にはアイスリンク仙台が再びオープン。競技を続けられるように支えてくれた人々に恩返しがしたい。その一心で練習に励んできた羽生は、翌11−12シーズンに大きく飛躍する。ロシア杯でGPシリーズ初優勝を果たすと、全日本選手権では3位に入り、世界選手権への出場権を獲得。同大会でも初出場でいきなり銅メダルに輝いた。17歳3カ月での世界選手権のメダル獲得は、日本男子では最年少記録。大舞台で結果を残したことにより、注目度も徐々に高まってくる。