70歳のプロアスリート“艇界の隼”は『生涯現役』
70歳の現役プロ選手、ボートレース・加藤峻二 【t.SAKUMA】
賞金王に輝くこと3度、最高グレードのレースであるSG競走を通算4勝し、G1優勝回数も現役3位の21勝。通算勝利数は歴代2位・現役1位の3248勝を数える。“艇界の隼”の異名でならし、外枠から小細工抜きの全速捲りで突き抜ける豪快な走りに、数多くのファンは熱狂した。
そして、今もスロットルレバーとハンドルを握り、最高時速80キロ以上にも及ぶ水上で戦っている。選手生活53年目、まだまだ現役バリバリのスポーツ選手だ。
「いやあ、今日はエンジンの手応えがなかったですね。なんとか明日はいいところを見せたいと思っているんですが」
1月11日、東京都大田区の平和島ボートレース場「第8回日本トーターカップ」初日。60代最後となったこの日は午前・午後に2レース走って4着、6着。特に6艇中最下位の6着に敗れた午後のレースは、スタートも失敗してしまい見せ場もなかったことから、すぐにエンジンの整備に取りかかった。
「自分としては特別に年を取ったとは思っていないんですけどね(笑)、周りが盛り上げてくれるから、やっぱり自然と気持ちが入りますよね」
“たまたま”受験して合格、すぐさま花開いた才能
早くから才能を開花させた加藤は1977年5月に笹川賞を優勝し、同年8月にはモーターボート記念Vとこの年はSGを2勝する大活躍を見せた 【提供:(財)日本モーターボート競走会】
「16歳の時でしたね。当時、兄の助手を務めていましてね、ですから自分もそっちに行こうかな、なんて思っていたんです」
ところが、たまたまボートレースの試験の方が先にあったので、という単純な理由でこちらを受験したところ、「受かっちゃいました。ラッキーでした」。
人生はどこでどんな転機を迎えるか分からない。“たまたま”受験して合格したボートレースだったが、「同期の中でも一番の年下」という当時でも異例の弱冠17歳でデビューすると、いきなりから才能を開花させた。
1959年7月26日、初出走から3日目にして初勝利を挙げると、すぐさま連勝。翌年12月には早くも江戸川でシリーズ戦初優勝を飾った。
「当時の優勝戦は5周だったんですが、1周目の1マークで捲って勝負を決めることができたので、残りの周回はウィニングランみたいなものでした。あれは気持ち良かったですねぇ」
挫折らしい挫折もなかったと、トントン拍子でスター選手への階段を駆け上がった加藤。勝ったことも、もちろん負けたことも、そしてボートレース選手としては一番やってはいけない行為の1つであるフライングを切ってしまった日のことも――特に“初”がつくものは今でもよく覚えている、と当時を昨日のことのように振り返る。だから、ボートレースの選手になってもう53年も経ってしまったなんて全然思えない、とも語った。