ブロック・レスナーは格闘技ファンの記憶に残り続ける=UFC

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昨年12月30日のUFC141で引退を表明したレスナー、生まれながらのスーパースターは敗れてもなお主役だった 【Zuffa LLC via Getty Images】

 ブロック・レスナーは、スーパースターになるべくしてこの世に生まれてきた。人々を惹きつける天賦の才は、2011年12月30日(※現地時間)、『UFC141』でアリスター・オーフレイムに敗れてなお、主役の座を譲らなかった。敗戦直後の彼のインタビューは、それほど衝撃的だった。

「ここ数年は、病気で苦しい時間を過ごした。この場で公式に言おう。俺をオクタゴンで見るのは今夜が最後だ。(UFC会長の)ロレンツォと(同代表の)ダナ・ホワイトに感謝したい。ブロック・レスナーは正式に引退する。妻と子供たちに約束したんだ。今夜勝てば、次の世界タイトルマッチを闘って引退するつもりだった。だが、俺は負けて……」感情がこみあげたレスナーは、途中でマイクを手放し、オクタゴンをおりた。スーパースターの突然の引退表明だった。

WWEからNFL、新日本、そして総合格闘技へ

2007年6月にDynamite!!米国大会で総合格闘技デビュー、わずか69秒の圧勝劇だった 【(C)FEG Inc.】

 レスナーの経歴は特異だ。
 1999年にミネソタ大学でNCAA(フリースタイル)レスリング選手権王者に輝いたレスナーは、翌年、米国プロレス団体『WWE』に入団すると、瞬く間にスターダムにのし上がる。無類の体格と圧倒的なパワーで世界的な人気を得たレスナーだが、2004年、人気絶頂のまま『WWE』を電撃退団すると、今度はNFL(※米国最大のプロフットボールリーグ)挑戦を表明する。トライアウトの末、ミネソタ・バイキングスに入団するも、活躍することなく解雇。しかし、レスナーは前に進むことをやめなかった。日本のプロレス団体でひとときを過ごすと、総合格闘技を次のステージに選んだのだ。

「短大の頃から、俺には闘いたいという意志があった」。2008年にビスマルク短大レスリング部で活躍したレスナーはこう言った。「カリフォルニアで夏期学校に通ったとき、ライオンズデン(※総合格闘技団体)の人たちに会ったんだ。彼らはネバダ大会に招待してくれたが、俺は断らないといけなかった。一度でもお金が発生するようなことに参加すれば、NCAAが俺を受け入れてくれなくなる。そのときはレスリングをしたかったからな。でも、短大時代の19、20歳の頃から、柔術のことは勉強していたよ」

 2007年6月、プロ格闘家として闘う準備を終えたレスナーは、K−1ロサンゼルス大会のキム・ミンス戦で念願のデビューを果たす(※当初はチェ・ホンマンと対戦予定だったが、直前のメディカルチェックによりチェが出場できなくなった)。レスナーの圧勝だった。キムをマットにたたきつけると、体にしがみついてくる相手に強烈なパウンドを浴びせ続ける。キムの戦意を喪失させるのに要した時間はわずか69秒。打撃によるタップアウトで、レスナーは記念すべきデビュー戦を飾った。

「自分の拳を相手の顔面に叩きつけるということに、この上ない幸せを感じた」。レスナーはデビュー戦をこう振り返る。「天国にいるみたいだった。確かに69秒はあっという間だけど、俺には5秒くらいで終わったように感じた」

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