ユースが示す高校サッカーの意味
「人間教育」という課題と向き合って

ユースよりも高校サッカー?

ユースと高校サッカーはそれぞれの課題と格闘しつつ、切磋琢磨している
ユースと高校サッカーはそれぞれの課題と格闘しつつ、切磋琢磨している【平野貴也】

「ウチの子はまだ人間的に甘えがある。教育ができていない。このままではプロでやれないから、大学で4年間頑張ってもらって、そこで人間的に成長してほしい」


 レコーダーを回していたわけではないので、記憶から引っ張り出してきた言葉だが、大筋では間違っていないと思う。そんなことを言われたのは、ある年の暮れだった。「今年はユースから誰も上げないんですか?」という問いに対するJリーグ某クラブの強化担当者(いわゆるスカウト)の答えである。恐らく正直な見解だったと思うのだが、この答えにある種の違和感を覚えたのも事実だ。


 そもそもこの問いを発したのは、そのクラブが高校サッカー部に所属する某選手を獲得すると発表した直後だったからだ。「ポジションのかぶるユースのあの選手は上がらないということかな?」と確認したくて聞いてみたわけだ。


 このやり取りから、その強化担当者が4つのことを考えていたと推測できる。つまり、その高校の選手は「人間的に甘えがなくて、教育ができている」ということ、「ユースでは教育ができていない」し、その選手をトップチームに昇格させても「プロのステージで教育することはできない」ということ、「でも、大学ならできる」ということである。


 本来なら、プロのプレステージであるべきユースが「プロでやるには甘い」選手を育ててしまう温床ということなのだろうか。プロ契約してサッカーに専念できる環境があると人間的な甘えが直らず(むしろ悪くなる?)、逆に学業と並行してサッカーをすると人間的な甘えがなくなって選手として一皮むけるということなのか。少なくとも、強化担当という立場でユース年代の現場を観察してきたその人からは、そう見えていたということになる。

ユースと高校の差は「接触時間」

 これは偶然なのだが、この原稿を準備しているころに弊紙『エル・ゴラッソ』にて行われた名古屋グランパスの久米一正GM(ゼネラルマネジャー)のインタビューでも、「ユースでもっと人間教育を徹底しないといけない」といった趣旨の発言があった。自クラブのユースについても「高校の先生だったらタダじゃおかないような状態になっている」と。日本代表までタフに生き残っていくユース出身者が少ないことと絡めて論を展開されていた。ユースの人間教育については、インタビュー全体の極一部で言及したにすぎなかったのだが、この部分について思いのほか大きな反響をいただいた。似たような疑問を持っていた人は意外に多かったということだろう。


 ユースと高校の差。こういう単純な比較自体、あまり好きではないが、1つのカギとなる要素は、単純な指導力の差というより、「接触時間」だと思っている。クラブユース選手権の会場で「一日2時間しか顔を合わせないやつの『人間教育をしてくれ』なんて無理」という声を聞いたことがある。指導者の心構えとしては最低だと思うが、真理の一面だ。ユースの指導者が無能だから人間教育をできないのではなくて、選手に対して関与できる幅がそもそも狭いのだ。


 通常、子供のサッカー選手というのは、学校・クラブ(部活)・自宅の三要素をサイクルとして持っている。高校の先生であれば、2つに関与できるし、寮や下宿であれば、3つ目にもかかわれる。できることの幅もそうだし、選手の様子がおかしい時の気付きも自然と早くなる。学校という枠組みの中で横の連係も取りやすい。ユースの指導者に比べて社会的地位が安定しているので、子供に対して強い態度で臨めるという側面もある。

川端暁彦
川端暁彦

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』を始め、『スポーツナビ』『サッカーキング』『サッカー批評』『サッカーマガジンZONE』『月刊ローソンチケット』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。2014年3月に『Jの新人』(東邦出版)を刊行

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