心象風景を描く漫画家・大島司氏=バレーボール漫画『アタック!!』

五味幹男
<アタック!! あらすじ>

 加藤晴鷹は驚異的な身体能力とセンスを誇る高校1年生。多くの部活から勧誘されるちょっとした有名人だ。
 そんな加藤だったが、恋心を抱いた小林舞子に振り回されたあげくバレーボール部に入部することに。マネージャーの舞子はチームを強くするためにスーパーエースになれる存在を探していた。
 加藤のスーパーエースになるための長い道のりが始まった。同級生の天才セッター、金子裕太との勝負、キャプテンである小林賢吾との出会い。そして大学生との練習試合で“スーパーエース”の称号の重さに打ちのめされた加藤は本気でバレーボールに打ち込むことを誓う。
 コンビネーションの確立、ライバルとのポジション争い。いよいよ動き始めたチームが目指すのはインターハイ出場だ。それぞれが強い決意と思いを胸に、加藤と掛川高校バレーボール部の戦いが始まった。

説明せずに、感情を描いて語る

 日本におけるメジャースポーツを考えたとき、野球、サッカーに次いで思い浮かぶのはバレーボールだろう。
「春高バレー」は、高校野球の甲子園、サッカーの選手権とともに季節の風物詩となっている。全日本に目を移せばワールドカップ、ワールドグランドチャンピオンズカップ(いずれも4年に一度の開催)、世界リーグ(大会名称は男子がワールドリーグ、女子はワールドグランプリ。毎年開催)といった国際大会が日本で開催され、ゴールデンタイムで放送されている。国内リーグに対する注目度の高さこそ野球やサッカーには及ばないが、全体の露出量を見たとき、この3つのスポーツだけが頭ひとつ、ふたつ抜けていると言える。

 だが、スポーツ漫画という点から見ると、現在のバレーボールは決してメジャーとはいえない。野球やサッカーの漫画が数多くあるのに比べ、バレーボールを正面から扱った漫画は、今のところ『アタック!!』しか見当たらない。
 高校サッカーを題材にした『シュート!』(週刊少年マガジン/講談社)で一躍名をはせた大島司にとって、バレーボールは中学時代を過ごしたスポーツであり、いつか描きたいと思っていたテーマだった。
「なんといってもビジュアルが格好いい。誰よりも高く跳んでブロックをものともせずにボールを打ち抜くアタックシーンにはほれぼれします。デビューのきっかけになった賞をいただいたのもバレーボール漫画でした」

 大島にとって漫画を描くということは、アクションシーンを描くことに限りなく近い。学生時代は目に付くものをことごとくデッサンしていたという。高校時代は少女マンガに無理やりアクションシーンを入れていたというのだからそのこだわりがよく分かるが、その作風はスポーツ漫画にこそぴったりだった。
「動きにおける全体のシルエットの美しさ」
 大島はスポーツの魅力をそう表現する。これはもう少しかみ砕いていえば、ため息の出るようなプレーと言えるだろう。観ている者が理屈抜きで見ほれてしまう、そんな動きだ。
 だが、大島漫画の特徴はアクションシーンだけではない。感情描写がアクションシーンと両輪を成すことでスケール感を増している。アクションと感情を丁寧に重ね合わせながら、「人間」をむき出しにしていくのだ。
 バレーボール部に入部したばかりの加藤が大学生との練習試合に臨む場面は、加藤の人間性を最も表現している場面として印象的だ。
 大学生チームに対し、圧倒的なジャンプ力と覚えたての技術で加藤はアタックを次々と決めていく。これまでその運動能力の高さを評価され、自信もあった加藤は得意になるが、マークがきつくなると状況は一変する。大学生チームは得点源の加藤を抑えることだけに専念し、3枚ブロックをつけてきたのだ。アタックが次々とはね返される。どれだけ高く跳んでも、どこに打っても決まらない現実にやがて加藤は崩れていく。
 だが、そんな加藤の思いを無視するかのようにボールは上がり続けた。チームメートはブロックされたボールを懸命につなぐ。何度でも何度でも。時には危険をかえりみずに身を投げ出してまで。ボールに込められた期待はワンタッチごとに増していく。
 その姿を見ながら、遂に加藤の心が折れた。
 跳べない。
 加藤は上がったボールが落ちてくる様子をただ見ていることしかできなかった。
 この出来事を通して、加藤は自分がどれほど甘かったかを思い知る。できる力があるのに、本気で何かをしてこなかった自分を知る。チームメートの本気に対し、あまりにも恥ずかしい自分の甘さに気づき、加藤はようやく自分の本気に目覚めるのだ。

 また、この場面では同時に、スーパーエースの本質が描かれているのも見逃せない。大島は加藤の人間性を見せながら、その存在の意味を語っている。
 スーパーエースを言葉で書けば「セッターの対角に位置し、レシーブをしない攻撃専門の選手」となる。それが実際の試合でどう位置づけられるのか、漠然と試合を見ているだけではイメージしづらい。
 チームが一番苦しいときに、相手に分かっていてもなおボールが上がってくるのがスーパーエースだ。
 コンビネーションで相手のブロックをいかに外すかという基本に照らせば、相手が分かっているところにボールを上げるというのは戦術として矛盾している。現代バレーボールがデータバレー全盛という面から見てもあまりに非科学的である。だが、おそらくそこに理屈はない。それでもなお決めてくれるはずだとチームメートが信頼を寄せる存在こそが、スーパーエースなのだ。
「戦術やサーブカットが乱れたとき、3枚ブロックがついていても決めて、期待に応える。今の全日本でいえば山本隆弘選手ですね。最近の試合でも彼のプレーで流れが変わったと思えるような場面がたくさんありました」
 加藤が跳べたのは、スーパーエースの本当の意味を知らなかったからだ。
 加藤が跳べなかったのは、スーパーエースの本当の意味を知ってしまったからだ。
 大島はスーパーエースの意味を言葉で解説せずに感情を描くことで浮き彫りにしたのだ。

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著者プロフィール

1974年千葉県生まれ。千葉大学工学部卒業後、会社員を経てフリーランスライター。「人間の表現」を基点として、サッカーを中心に幅広くスポーツを取材している。著書に『日系二世のNBA』(情報センター出版局)、『サッカープレー革命』『サッカートレーニング革命』(共にカンゼン)がある

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