「感動と興奮、『明日もまた頑張って生きよう』と思えるような試合をチャンピオンとしてしていきたい」“IWGP世界ヘビー級王者”後藤洋央紀が決意表明! 3月6日(木)『旗揚げ記念日』の棚橋弘至戦にも意欲!!

チーム・協会

【新日本プロレスリング株式会社】

2月12日(水)新日本プロレス事務所にて『ナッツRV Presents THE NEW BEGINNING in OSAKA』の一夜明け会見がおこなわれ、IWGP世界ヘビー級王座初戴冠を成し遂げた後藤洋央紀選手が出席した。

撮影/中原義史

■後藤洋央紀選手のコメント

「昨日、2003年にデビューして22年かかりましたけど、ようやくこのIWGPのシングルを奪取できたこと、そしてあれだけの超満員札止めの中で試合ができ、後藤コールの中で試合ができたことはレスラー冥利につきるというか、その中で奪取できたことは本当に嬉しく思っています。これからもこの世界ヘビーのベルトの名に恥じないように、感動と興奮、そして『明日もまた頑張って生きよう』とそういうふうに思えるような試合をチャンピオンとしてしていきたいと思います」

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■質疑応答

【新日本プロレスリング株式会社】

――今回のベルト奪取は、ご自身のキャリアの中でも最大級の反響があったと思いますが、その中で印象に残っているものはありますか?

後藤「会場を見渡した時に、涙を流して喜んでくれてるファンの方たちっていうのがたくさんいたので、それはSNSとかでも。そこが一番、やっぱ『俺だけじゃなくファンの方も一緒に闘ってくれてたんだな』と感じて、ホントにありがたいなと思いました」

――ベルトを獲った方は預ける方と、一晩お持ちになる方もいますが。

後藤「自分と一緒にずっと昨日から過ごしてます」

――一夜明けての実感は?

後藤「昨日も身体が興奮しちゃって、ほとんど寝れなくてですね、消灯しても寝れてないですね。暗闇の中、ずっと身体が興奮しちゃって……。できるだけ長く一緒にいたいですね」

【新日本プロレスリング株式会社】

――昨日のバックステージで次期挑戦者に棚橋弘至選手を指名しましたが、そこには特別な想いがありますか?

後藤「それはもう前々から言ってたというか、公約。獲ったらこうするって言ってましたし、やっぱり初めてIWGPのベルトに挑戦したのが棚橋さんだったので、棚橋さんとは何回もやってきましたけど、やっぱり自分がチャンピオンとして棚橋さんを迎え撃つ。逆のパターンに持って行きたかったっていうのは昔からあったので、いまそれを実現できる立場になったので、それを実現させたいですね」

――8度目の挑戦から9度目の挑戦までの間に、IWGPのベルトを考えなくなったり、タイトルを狙わなくなったことっていうのはなかったんでしょうか?

後藤「いや、考えなくなったっていうことは一度もなかったですね。つねに『シングル戦線に戻る』それを意識してましたし、ただそのタイミングというか、そういう部分はなかったというか。いつかこのシングル戦線に戻ってやるっていう気持ちはずっと持ってました」

――そして9度目にして獲れた最大の要因というのは?

後藤「運というか……。やっぱり亡き父がくれたチャンスだと。それをしっかり物にできたかなと思いますね」

――棚橋選手は今年引退するという部分、ファイナルロードが始まってるわけですけども、その部分をあまり言及されてなかったかもしれないので、あらためて棚橋弘至引退という点に関しては?その年にタイトルマッチが実現するという部分に関してはいかがでしょうか?

後藤「その引退する前には必ずしたかったかなという想いはありますし。たぶん最後、俺は負けてるので、勝ったまま引退する身じゃないでしょうねっていう気はしてました」

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――2.11大阪大会の試合後に永田裕志選手が『ベルトに挑戦したい』とおっしゃっていましたが、棚橋選手と永田選手というのはどちらかというと“IWGPヘビー級”のほうで連続防衛記録を打ち立てたり、象徴的な存在だったと思うのですが、そのお二人が後藤選手の持つIWGP世界ヘビー級王座に挑戦してくるという状況に関してはどのように捉えていますか?

後藤「やっぱり自分がこのベルトを獲ったことによって、やっぱりキャリアのあるベテランと言われる選手の刺激になっていると思うんですよね。それを本当に受け止めて、俺と同じ世代、俺よりも上の世代と共に輝いていきたいなっていうのがあるので、存分に俺は引き出したいと思いますよ」

――4月5日の両国大会で、その時点でのIWGP世界ヘビー級王者と『NEW JAPAN CUP 2025』優勝者のタイトルマッチが発表されました。後藤選手としては長期政権を含めてこの辺りも睨んでいますか?

後藤「もちろんです。昨日の試合をする前から、ここで獲ったならば『NEW JAPAN CUP 2025』の優勝者とやるのが次なのかなって思っていたくらいです」

【新日本プロレスリング株式会社】

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著者プロフィール

1972年3月6日に創業者のアントニオ猪木が旗揚げ。「キング・オブ・スポーツ」を旗頭にストロングスタイルを掲げ、1980年代-1990年代と一大ブームを巻き起こして、数多くの名選手を輩出した。2010年代以降は、棚橋弘至、中邑真輔、オカダ・カズチカらの台頭で再び隆盛を迎えて、現在は日本だけでなく海外からも多くのファンの支持を集めている。

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