サントリーを復活Vに導いた沢木監督 「クールな指揮官」が選手に求めたもの
「過去最低成績」から全勝優勝へ
日本選手権優勝後のインタビューで笑顔を見せる沢木監督 【斉藤健仁】
常勝軍団だったサントリーは昨季、トップリーグ9位と過去最低成績に低迷した。そんなチームを見事に復活させた指揮官こそ、OBの沢木敬介監督だった。
沢木氏と言えば、選手時代は日本大4年時、故・平尾誠二監督が率いる日本代表入りし、サントリーでもSOやCTBとして活躍。2006年度、首のケガの影響で選手を引退したが、当時、サントリー監督だった清宮克幸監督(現ヤマハ発動機)の勧めで、コーチに就任、指導者としての道を歩み始めた。「僕のことをコーチに誘ってくれたのは清宮さん。今でも感謝しています」(沢木監督)
沢木監督「エディーはコーチの一番の見本」
現役時代はSO、CTBで日本代表としても活躍した 【写真:アフロ】
「選手として感じたエディーとコーチとして感じるエディーは全然、違いました。準備の意識が高くなりました。厳しかったですが、エディーはコーチの一番の見本。ブルズ、ワラタスなどに視察に行きましたが、一つ言えるのは、エディーは世界のトップクラスのマネジメントを行っていました」(沢木監督)
かつて、一緒にプレーしたベテラン選手たちは、沢木監督のことを「敬介さん」と親しみを込めて呼び、「厳しさは変わらない」と声をそろえる。清宮時代、エディー時代のサントリーを支えて、2012年度はヘッドコーチとして大久保直弥監督(現・NTTコミュニケーションズFWコーチ)と二人三脚で、チームを「2冠」に導いた。
6年間、サントリーでコーチを務めたが、2013年から「エディーの下で、一貫で指導していくなら」とジョーンズHCに請われる形で、U20日本代表の指揮官に就任。2014年にはU20日本代表を、1部(ジュニアワールドチャンピオンシップ)に昇格。さらに2014年の途中からはエディー・ジャパンのコーチの一人となり、ワールドカップで3勝も経験した。
「悪い習慣」を変えるために2年目の流を主将に
2年目の流(左)を主将にして、チームに変化をもたらした 【斉藤健仁】
2016年、監督に就任すると「サントリープライド」というスローガンを掲げ、ぬるま湯だったマインドを変えることから始めた。「練習から100%でやれと言っても、70〜80%ほどで、ふりをしている選手がいた。悪い習慣があった」。それを払拭する一つの手段として、「スペースを見極める能力もあるし、自分の意見を言えて、ハードトレーニングができる」と2年目のSH流大(ながれ・ゆたか)をキャプテンに抜擢した。
「代表とクラブの指導法は共通点もありますが違う部分もある」と沢木監督は、ジョーンズHCのようなトップダウンスタイルを取ることはなかった。「今季はトレーニングを厳しくやりましたが、やらされているのではなく、自分たちからやろうと思えるようにミーティングの機会をたくさん作りました」。優勝経験のない若い選手もいるため、対話を重ね、チームとして戦うことを重視した。